私財と時間をなげうってるサーバー管理者をリスペクトすべきなのは絶対そうよね。でもだからって利用者は不便なとき去るしかない、ってなったらまた違わないかなあ。けっきょくサーバー管理者の権限が絶対になって、小さな中央集権がたくさんできてしまう。
持続可能な形(これは一般化できないけど、サーバー管理者がいやにならない範囲)で「下宿人」が要望を出して、「大家」と対話(拒否を含め)する余地は残しておいてほしいなあ。それが持続可能になるかどうかは、おたがいの「対話」のしかた次第じゃないかと思う。
たしかに中央集権よりコストが高い(めんどくさい)けど、そういう場を作れる可能性があることが、分散型のよさじゃないかなあ。
ショック。国がろうコミュニティに情報保障をしてこなかったということで、どストレートな差別そのもの。
「同法を巡る最初の裁判となった18年当時は「旧優生保護法」の言葉を表す手話表現もなく、ろう者の間では「優しく 生きる 守る 法律」と表現されていたという」
いま隣の席にいる小学校低学年くらいの男子が、ずっと無の状態でチャーハンを待ってたんだけどbling-bang-bang-bornが流れ出した瞬間テンション爆上がりして、バズった歌ってこういうことなのかというのを目で確認した
なぜ現行の教科書は「アイヌ民族」でなく「アイヌの人々」と表記しているのかについて。すばらしい調査だなあ。帝国書院から「日本の関連法を重視した」という編纂の経緯を引き出している。
「「アイヌ民族」と「アイヌの人々」①」
https://note.com/chuushin/n/ne2e25c8df659?sub_rt=share_pw
このトゥートだけ引用したうえで「いいじゃん別に差別反対の鯖があれば差別賛成の鯖があっても」みたいなコメントがついてて、そういうことじゃないんだけど…というお気持ち
リンク先。画像きついです。
(引用)
駐日パレスチナ常駐総代表部
イスラエルに餓死させられた、ガザの生後7か月の赤ちゃんです。これが戦争犯罪でないのなら、国際社会は一体何を戦争犯罪と呼ぶのでしょうか?
長い(Mastodonの構造と差別反対の話)
Mastodonの構造上、どこかの鯖には所属しなければならず、自分で鯖立てればいいじゃない、というマリーアントワネットメソッドを使うほどアホな手間とか金を誰もがかけられるわけではない以上、誰かが善意で用意している鯖にアカウント作るしかない。
そしてその「誰か」が常に差別問題についてちゃんとした見識を持っているとも限らないので、そのような人物が立てる鯖に自分がいるのはイヤだ、と考えて離脱するのは当然自由ではある。
ただ、最初に言ったMastodonの構造上、多くの人は「誰か」の立てた鯖に登録するほかはないし、差別反対の主張もMastodonでしたいのであれば自分の所属している鯖でするほかはない。そもそも別鯖に行っても同じ問題は発生しうるのだから、「差別に反対するのならその鯖にいるのはおかしい」みたいなことは言うべきではないと思う
差別は絶対にいかんこと、というのは前提として、「差別発言に対してNSのフォーマット提供者が中央集権的に禁止すべきかどうか」というのが次の問いか。
これは微妙だよねえ。「フォーマットがちゃんと禁止します」という運用を実行すると、次には「禁止しないからこれはお墨付きをもらっています(与えています)」という状況が生まれる。「フォーマット=ルールブック」の状況といってもいい。
差別に断固として立ち向かうのは絶対に必要。でもそのために「フォーマット=ルールブック」の状況にすると、「ルールブック」をわたしたちの外においていていいの、フォーマット提供者をルールブックにしていいの、という問題が生まれる。
ぼく個人は、差別への対峙は各アカウント、あるいはフォーマットでないかたちでも可能なので、「フォーマット=ルールブック」にしないというのはひとつの見識だと思う。差別への対抗策はひとつではない。
あー、のえるさんが「fedibirdは中央集権的になにかを禁止したりはしない」「脅威に対しては自分でミュートせよ」という声明を出したことを受けて、「差別発言を規制しないとはどういうことか!」という声があがってるわけね。やっと話の流れがつかめた
国語教育。武蔵野大学准教授。博士(教育学)。文法教育が他領域と関連をもてていない原因を歴史的に研究しています。植民地における言語教育にも興味があります。トムヨークと佐藤天彦がすき。書き込み内容は所属組織と無関係です。