あまりに立て続けに色々起きすぎるから、もう少し分散してきてほしいと付き合いの長い美容師さんに愚痴ったら、人生見直してみたらって神様が言ってるのでは?と言われて、そうかもしれない?が?と思うなどした。
というか、思い返してみると、関係あるのかないのか微妙なんだけども、家庭のことも仕事のこともこれまでなんでもやりすぎたんだよね。良かれと思って。認めてほしくて。でもそうしていることでなんかどんどん都合よく使われることが増えて、なのに自分を大事にしてもらえるわけでもなくて、そのつりあいのとれなさに気持ちがつらくなるんだと思う。先回りしてやりすぎた。自分の心が弱いせいだと思う。自業自得。だからそこを改めていこうと思う。
仕事と家はまあまったく違うものなんだけど、根本の自分のマインドが、さみしさと報われたさがあって、そのために自分がすることが、役に立てるようにがんばる、なんだと思う。それは違う気がしてきた。もっと早く気づけ。
医療機関というのは一番は患者、その後に医師から他医療者という立ち位置があって、事務なんて底辺も底辺で、経営のトップにいる人ら以外の事務職なんてものすごく扱いが低い。それをわかってて医療機関の事務員をやってるし、でも事務には事務にしかできない貢献が絶対にあってそれをやるんだと思って仕事を続けてるし、それをわかってくれて感謝してくれる医療者もいる。
たまに、必要な資料でも全然回してもらえないとか、職場の中で業務に必要な物や場所や多くのリソースについて、事務に回されるのはいつも常に後、というのがやるせなくなることがある。人命、健康、あらゆる症状のために行う医療を何よりも優先すべきで、医療行為がなされなければ私たちの仕事もそもそも発生しない。それはそう、それはそう、本当にそう。でもいつも同じ地平にいる人間でなくどこか後回しにしてもいい職員として扱われ続けると、削られるものがあるなとここ数年思っている。どんな医療行為でも保険知識に照らし合わせて正しく保険請求しないと入金されないんだぞ、金がないと何も維持できない、どちらが欠けてもダメなんじゃないのか、と職場では言いたいけど言えない。今回も請求のエラーがなかったなよくかんばったと自分で自分を褒める。誰が知らなくても、私は私として代え難い仕事をしてると知っている。
これまで伝えずにきた身内の病状を親戚に伝える役目を仰せつかり。まあ私がやるのが良いのだろうなと納得する。実家のことに関わるとなんであれ消耗が激しい。実は私が親戚に告げた身内の病名や余命は嘘なのでは?私が勝手に思い込んでいるのでは?違ったらどうしよう。実際は違うのに不謹慎に命に関わる嘘で心優しい人々を翻弄しているとんでもなくタチの悪いクズなのでは?違うんじゃないか?私が伝えたことは正しいのか?どう証明するのか?とてつもなく不安になる。聞いて聞いて伝聞でしか知らないことを、軽くでは済まないそんな話を、誰かに伝えて、その誰かを泣かす。耐えられない。耐えている。耐えてはいない。なんのために。もうこっちを見ないで。
物心ついた時から狭い田舎の中でどんな時も近くで過ごし一番近くで常に私を冷たくあしらい嘲笑い嘲笑い嘲笑ってきてそしてそれらの一切に無自覚であった兄弟、療養中だったけど病状が悪化、今後は難しいとのこと。考えて、親族の呼びかけにより見舞いに行くことにした。転移により認知機能の低下が見られると言われたことが大きな理由。わかるうちに。良いことも悪いことも何も言わないしするつもりもない。ただ、おそらく今後の自分の人生のために今行くべきだ、と感じた。一生許さない。それでいいのだということを見届けに行く。親だろうと誰だろうと私の過去と今の気持ちに何も言われたくはない。何がわかるわけでもないくせに口だけ出したがる、醜くて浅ましい、そんなお前らに何も言わせない。決別しにいく。そして次の場所に向かう。何が終わっても私の地獄は続く。それは変わらない。
感情的に電話で話す実母。実父に話しても常に眠たそうで話す甲斐もないし聞き返してもくれない。だから私。身近な相槌相手。実母の今一番の懸念事項に関連の深い医療機関と介護保険の知識がある。うってつけだね。お願いアヤ、助けてアヤ、とメールを送ってくる。家族を襲った病にただただ嘆く。まあそれはそう。健康に変わるものはない。それはそう。でも協力しないと寝覚めの悪い健康問題ももはや私には関係ない。そう思える境地をありがとう。いやだってあなたをなだめて辛抱強く話を聞いて励ましてってしないといけないのか。私はしてもらったことはないのに?そのようなことを言えば、心底うなだれ困りそんなひどいことを家族に言うなんてと嘆かれる。こちらの言葉も真意も受け取る気がない。でも自分の話は聞いてほしい。いびつ。そのいびつさを認識する頭はない。思考とは?状況の把握とは?実母には今の自分の感情しかわからない。対等な人同士、そんなんだと成り立たなくない?という感覚は通じない。だめなんだよね。通じない。よくもこんな人と過ごしてきたな10代までの自分。そりゃわけわかんなくなるよ。未熟な基準しか持たない若い頃にこんな無茶苦茶な人が最も身近な存在だったなら。生き延びて持ち直して偉かった私。最近いつもこの結論に辿り着く。
私は打ちひしがれているけど死にたいわけではない。憎んだ実母も実姉も、今の自身の境遇など私に知らせず、自分で努力し、自分でできる範囲以上のことは諦め、私に何も言わないでほしい。それが矜持というものではないですか。それだけのことをしてきたでしょう。なぜ血縁というだけで私に頼っていいと思うのですか。全然関係ない遠くで勝手にやっていてほしいです。酷い仕打ちをしたのだから、ぞんざいに扱っていい存在で見向きもしたくないのだという過去から続くその眼差しを貫いてほしい。私に頼らないで。本当にがっかりです。
例えば私が、実母より実姉より夫より考える速度や結論が早いんだとして、それはつらい状況や苦しさや悲しみをなんとか減らそうと自分でとにかく考え向き合い逃げなかった結果として得たもの。夫や私の親族は、そうして人を痛めつけてきた側のくせに、それに耐えて成長してきた私の力に今更ただ乗りして便利に使おうとする。腹立たしくてならない。手ひどく扱い痛めつけてきたくせに。人の好意を勝手にあてにするのはやめてほしい。自分でなんとかならない範囲のことは諦めて。
散々私を嘲笑ってこき下ろしてきた実姉は実は私を大事に思っていて長年の病に伏して体調が悪化の一途をたどる今私に会いたいんだって。
だらだらしたい母