既存の詩や文から章句を切り出し、もとの文脈を無視して再利用することを「断章取義(だんしょうしゅぎ)」という。
『列子』にある列子の故事を、弓の名人・紀昌のこととして「名人伝」に取り入れた中島敦の方法も断章取義と言える。他にも「名人伝」では、『列子』中の章句をさかんに流用、元のシチュエーションから切り離して使っている。
ネガティブな面を強調して断章取義を言い換えれば、盗用あるいは故意の誤用ということになるが、ポジティブには、断章取義こそすべての創作活動の基本ではないか。
創作物の中身がすべて創作者の内部から発しているなどとは言えない。すべてが作者のオリジナルだとしたら、それらは遺伝子で伝えられてきたものとでも考えないと説明できない。逆に、すべては借用、流用、盗用と言ったほうが事実に近いだろう。
「凡才は模倣し、天才は盗む」とピカソは言った。
「盗め、どうして盗まないのだ」とウィリアム・バロウズも言っている。