先の記事の続き。1938年(昭和13年)に東海林太郎の歌で発売された「上海の街角で」は、21世紀の今も「深情難捨」または「深情難忘」として歌い継がれている。ただし、日本でも上海でもなく、台湾で。
youtube.com/watch?v=MYaPRG_PZn

数年前になるが、アメリカで日本の80年代シティポップがはやっていると聞いたことがある。一般化して言えば、世界のあちこちのカルチャーの場には、時間を滞留させる遊水地か溜め池のようなものがあり、よそでは消えたトレンドがそこでは長くとどまっている――というのがあるのではないか。たとえば、シルクロードの彼方からやってきた文物が、日本で正倉院に残されていたり、雅楽として引き継がれているように。
YouTube で台湾版の日本歌謡をあさるのは心地よい。ド演歌に収斂してしまう前の昭和歌謡が、台湾の遊水地で保存されている。

戦前のものを含め日本の歌謡曲が台湾で歌い継がれていることは前に書いたが、「上海帰りのリル」も広くカバーされている。

陳一郎 - 上海歸來的莉露 (1989) - YouTube
youtube.com/watch?v=5mmh6Cip2y

陳一郎は80-90年代の台湾を代表するシンガーか。
そのほか「上海歸來的莉露」や「莉露」でYouTube を検索すると他の台湾歌手のカバーも拾える。楽器バージョンもあり。

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fedibird.com/@mataji/112090811

[参照]

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モスクワ市内や赤の広場の光景をバックに、松山恵子「哀愁の駅」の設定を台湾に置き換えた歌が流れる不思議なビデオ
youtube.com/watch?v=MVcuvSpxF9

はじめに「蘇聯」の文字が出てきてソ連時代の映像かと思わせるが、そのうちロシアの三色旗とアメリカの星条旗が並んで出てきて、ならばソ連崩壊後のものか。映像の種類も、ドキュメンタリーなのかメイキングなのか――と、素性のわかりにくい映像だが、妙にに歌とマッチしている。

歌っているのは、1980-90年代の台湾歌謡界で代表的な存在だったらしい陳一郎。技巧に拠らない素直な唱法だが、声が悲哀の感情に触れてくる。

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