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のちにエドガー・スノウと結婚することになるヘレン・フォスターは、1931年、23歳で、アメリカ総領事館の秘書として働くため上海にやってきた。故郷のアメリカではいっかいの女性にすぎない彼女だったが、上海に着いたとたん、ドルの威力によってマンダリン並みの特権階級に押し上げられる感を味わった。

スノウと最初に待ち合わせをしたのは、共同租界随一の繁華街である南京路の喫茶店「チョコレート・ショップ」。そこは清潔なアイスクリームの一匙一匙が郷愁をさそう最もアメリカ的な場所であり、外国人が安心して牛乳を飲める唯一の場所だった。
この店はアメリカ人の船員が1912年に開業し、オフィス勤めの外国人に人気だった。アメリカで少女時代を過ごした孫文夫人の宋慶齢もお気に入りだったという。

日本と中国が軍事衝突を繰り返した1930年代を通じ、日本と英・米の関係も悪化を続けた。
1940年、上海駐留イギリス軍が撤収を開始。
太平洋戦争勃発直前の1941年11月、上海駐留アメリカ軍も撤収。
ヘレン・フォスターも1940年12月、アメリカ人婦女子への退避勧告を受け、寒風に震えながら黄浦江を下っていった。

以上も榎本泰子『上海』による。

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