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1927年後半から文学者たちが上海にもどってくる。
蒋介石の4.12クーデター当時、広東の中山大学の教授をしていた魯迅は、同大を辞して10月はじめに上海についた。
郭沫若は8月の南昌蜂起に加わったのち、江西・福建一帯で転戦、敗れて山中をさまよったのち、福建省の漁港から香港に逃れ、10月下旬、香港から上海に来た。彼には2万元の懸賞がかけられていた。
武漢の茅盾も8月下旬、上海にもどった。船で上海に着くのは危険と判断して鎮江で列車に乗り換えたが、かえって怪しまれ、危うく逃れて上海入りした。
彼らが上海に集まったのは、文学活動に適していたから。国民党の治下より、いちおう西欧型デモクラシーをうたう租界のほうが安全だった。
    ――丸山昇『上海物語――国際都市上海と日中文化人』による

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