安岡章太郎の小説『私説聊斎志異』は1973年秋から翌春にかけて週刊誌『朝日ジャーナル』に連載された。
作中の実時間は、連載期間より1〜2年さかのぼった時期の2カ月余りで、その間、語り手の「私」は長編小説を書くべく京都の寺にこもっているが、筆は進まず、市中を歩き回ったり、大阪に友人をたずねたりする。
「私」の年齢設定は51歳。
著者の安岡章太郎は1920年生まれだから、これは著者の年齢でもある。
51歳という年齢は、『聊斎志異』の作者・蒲松齢にも重なる。
蒲松齢は科挙の予備試験である県試、府試、院試の三試験にいずれも首席で合格したが、19歳で受けた本試験の第一段階である郷試に失敗すると、その後、ついに第一段階を突破できず、51歳で受けた郷試の落第を最後に、ようやく受験をあきらめたとされる。
安岡あるいは「私」は、3年にわたった自身の受験浪人の体験から蒲松齢の30年余りにわたる不合格体験に思いを馳せ、また51歳という時点においても蒲松齢を鏡にみずからを映してみる。そのように自身と蒲松齢を重ねあわせる中で、自身の過去や交友関係を振り返り、『聊斎志異』の怪異譚と作者について考えをめぐらしたのが『私説聊斎志異』である。