逆に、自分が損をしないようにだとか、死ぬのが怖いから危ないことはしたくないという、生にしがみつく選択をして生き延びるようなことほど恥ずかしいことはない。
無謀と勇気は紙一重と言うように、死を自覚して念を入れるというのは、境い目が難しい。
死力を尽くすというのも通じるかも知れない。何にせよ、念を入れて何かをやる、仕事に臨むというのは、どうやったって安全域からは出て、勝負に出ることになる。
ならば、自分が今から死ぬかも分からんが、念を入れる。逃げずに戦う。それが武士道ってものらしい。だから鍋島は家を長く守れたんだとか。
やる気以前に、死ぬ覚悟ってことかな。それが抜けてて、自分だけ助かる皮算用をついやっちゃうから、世の中は冷たくなったのかな。自分が死んででもやる、という熱い感情が冷めたから。 [参照]
へえー。さらに武士は、いつ討ち死にしてもいいように身だしなみを整えたり武具の清掃も怠らないらしい。
討ち死にした時に汚かったら、こいつは身体も鎧も汚えような雑魚やったんやなwそら死ぬわwwwってバカにされない為にという意味もあるらしい。
お掃除の意味って、死んだ時に軽蔑されないようにってこともあるようだ。最近孤独死多いけど、家が綺麗だったら遺留品も引き取り手が出そうなもんだし、これは一理あると思うね。出不精のゴミ屋敷に残されてた物なんか、価値あってもちょっとね。
ちゃんと身だしなみを整えているかどうかは、その覚悟のほどが出てくるかららしい。死ぬ覚悟があるかどうか。いつ死んでも心残りはない。そういう"必死さ"があるからこそ賤しくなんかならないそうだ。次の瞬間死ぬかもしれないしな。
わがまま放題の不摂生は結局、生にしがみつくことに繋がるし、いざ勝負となって負けた時に、恥の上塗りになるらしい。 [参照]