自分で確かめようがないので真偽のほどは分からないけど、ある記事によればラファの家族用テントの賃貸料金が月々15万円ほどとかいう恐ろしい情報もあった。去年の春ごろの記事だったから、今ではもっと高騰しているのかもしれないし、テントのスペックや立地によっても料金は変わるのかもしれない。支援依頼のメッセージの送り主には生々しいこととてもじゃないけど訊く勇気がない。本音を言うと、そこまでやりとりを深めてしまうのが怖い。どうしていいのか分からない。誰にも分からない。何をしても焼け石に水のような絶望的な気分に陥り…… あの絵をUPしているインスタのアカウントのメッセージ機能をいっそOFFにすればいいのかとも思うけど、なんだか大きな裏切りのような気がしてそれもできない。なにもかも一人相撲に過ぎないと分かっているけど、気持ちの折り合いをつける術がない。あの絵を描くのを止めてアカウントも消してしまえば少しは心が安らぐのだろうか? 安らがない。承認ボタンを押せない未読メッセージが着々と増えていく。
映画『哀れなるものたち』で覚醒の過程にあるエマ・ストーンが地獄(のような土地)の人々を目にして階段を駆け下りていくシーンがあるけど、あの階段はどこにも辿り着かずに途切れていたんだっけ?
バカなので何をすればいいのかが分からない
とにかくそんな記憶も頭に過るから、GAZAの人達との(バーチャルな)関係が具体性を帯びてしまうのが怖い。現地からのツイートを日本語に訳して投稿している翻訳家が何人もいるけど、おそらくただでさえ経済的に苦しいのに支援要請を無視できずに大変だと思う。それで苦しんでいるというようなことを言っている人を見た。
振り返れば億という単位のカネを持っている働き者の才人もいるけど、あの人もそのカネを必要としている誰かのために多少でも用立てたりしているんだろうか。そう思いたい。でもそう思えないから去年の暮は恒例のパーティに参加せずに招待を無視した。
物事との距離の置き方が難しくて分からないけど、そこのハンドルを間違うことで自分がどうしようもない状態に陥ることは避けなければならない、ということだけは何となく思っている。
マストドンには直接交流のある人がほぼいないから、穴倉に向かって、外で言いにくいことを割と無防備に言う場にして、だらしない自分のバランスを取っている。見ている人がいたらそういうときは道端の酔っ払いと思って無視してください。
道端の酔っ払いとして恥ずかしくない程度の節度は保たなければいけないな(低レベルな自戒
東日本大震災の直後に、原発事故の関係で知り合った記者。その人は現地との感情的距離を縮めすぎたことで取材から抜け出せなくなって、担当を外れてもなお浜通りへの行き来を止めることができなかった。そうこうしているうちにアルコール依存症のような状態になって、さらに精神状態を病的に悪化させ、そのまま仕事を辞めてしまった。そのころにこちらとの関係もおかしくなって縁が遠のいたけど、仕事を辞めてなお現地には通っていたんじゃないかと思う。当時まだ若かったのに偉い人だった。だけどたぶん人生が大変なことになってしまったんじゃないかと思う。回復してくれているといいんだけど。