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こんな感じなんだなーというような行儀のいい絵で、でも色使いが爽やかで、また結構な大作も何枚も描いていて、毒はないけど薬にはなるかもと思えるような、なんというか納得のいく絵だった。絵は上手かったし、見ることができて良かったと思った。
初めて知ったが、先生は女子美の出身だったらしく、その同級生を含む何人かがラウンジと化した1階のスペースで談笑していた。
そこに交じるのは気が引けたけど、先生×生徒の力関係というか、たしなみと言うか、は35年を経て強化されていたようで、空けられた椅子に座らされた。
昔話に興じるなか、当時のあれこれを掘り返されて、それで思わず「でも、うちDV家庭だったんですよ」と冗談交じりに伝えた。
そのときの彼女の表情が忘れられない。「あー」と言って、形容し難い顔をした。
そうかなと、うすうす思っていたと彼女は言った。で、「ごめんねー」と笑わずに言った。極めて複雑な表情だった。40年近いキャリアのなかで、いろんな子達を見てきたんだと思う。そんなのが伝わってくるような顔だった。
なのでこちらは茶化したが。
学校はさておき、当時は家庭訪問というのがあって、そこで何かを感じていたのだそうだ。でも当時の自分には何もできなかったし、そういう言語もまだなかった時代だったし、
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彼女自身もまだ未熟で、怒ってばかりいる教師だったからとか、とにかくそんな話。
その当時、若い女性の先生は「指導できない」と言われていたんだそうだ。指導とはつまり、生徒をひっぱたいてでも殴っても言うことを聞かせられることだったんだってさ。’80年代の公立校の教師だった人の証言です。
だから暴力的な男性教師が幅を利かせていたんだよな。
そして、それぞれの社会単位のなかで従順な子供達を生み出していった。その結果がこの世の中。
その先生の教師人生も、まあいろいろと大変だったようだ。
同級生たちのその後をいろいろ訊かれたけど、その後の付き合いがないのでよく知らない。ひとり、僕の親友だった友人の死(死因は酒)を伝えたら、やはりとても悲しそうな顔をしていた)。
※写真は彼女の絵