2003年の議論
後藤田「イラクに自衛隊を出すべきではない」
中曽根「人道支援、復興援助。民生安定、イラクの人々の幸せのために」
後藤田「世界はそうは受け止めない」
中曽根「イラクの問題と北朝鮮の問題は関係ある(拉致問題に対して厳然と)。憲法9条でいくんじゃない。内閣の外交で行くんだ。日米の協力(安保)が何よりも重要だ」
後藤田・大江「ない」
大江「アメリカが国連を無視して戦争を始めた。そして収集がつかなくなった。その後始末のために日本が協力するというのなら、それは日米関係を見直しても良い、そのような契機ではないかとむしろ考える。もう一度、国連を基盤に日本の外交を考え直す機会では」
1992年:PKO法→日本の自衛隊の海外派遣が可能に
1996年:安保再定義/日米安保共同宣言/拡大解釈
2003年7月26日 イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(イラク特措法)が国会で成立
2003年12月~2009年2月:自衛隊のイラク派遣
小泉純一郎首相(当時)「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけがない」「自衛隊が活動する所が非戦闘地域」
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大江「憲法は国民が政治家を規制するものであって、政治家が好きに解釈してよいものではない。憲法の規範を元に戻していく必要がある。20年後、30年後を考えて、憲法の規範の方向に国を戻していく」
中曽根「空想的平和主義は危険であり、世界の現実はもっと厳しい、それが現実だ。集団的自衛権の行使を含めて、憲法を正してゆくのが政治、国民の義務だ」
大江「自衛隊を、例えば災害救助に特化した組織に変えていくなど、そのような方向こそ、平和にとって重要だ」
中曽根「現実はそんなものではない、厳しいものだ。テロの現実を見ろ。備えが必要だ。政治の現実は厳しい。憲法改正は必要であり、政治はその必要性に応えていく必要がある」
後藤田「客観情勢が変わってどうしてもという時には憲法は変えなければならないだろう。拡大解釈にも限界がある。日本国憲法の発する源流は1928年、ケロッグの不戦条約→国連憲章。その流れのなかでできているのが日本の憲法」
「2010年頃に、EUや中国の現実がもうちょっと見えてくる」
「日本国憲法に流れている基本的精神を忘れては困る」
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後藤田「〝安保条約〟は〝軍事同盟〟であり、〝軍事同盟〟とは〝仮想敵国〟が前提。仮想敵国であったはずのソ連は90年代に終わっている。この先の日米関係は〝安保条約〟を〝友好条約〟に変えていく必要がある」
中曽根「不安定なアジア情勢において、周辺に〝核〟を持っている(かもしれない)国がある。例えば北朝鮮がそうでありテポドンも飛ばす可能性がある。日本が〝非核〟を貫くのであれば軍事同盟であっても〝安保条約〟を保持しアメリカの核の傘のしたに入っていることが国益に適う」
栗山元駐米日本大使「世界情勢、世界の平和のためなら、日米軍事同盟は必須」
大江「医者や、水道などの(インフラの)専門家を、軍隊とは別に派遣することによって、国際的な理解は得られる。人道支援が安全におこなわれるためには、自衛隊の人間を送らない。時期を見て、人道支援を送ることで問題ない」
後藤田「 軍事力だけで事を済まそうとしてはいけない。アメリカは寛容であるべきだ」
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