んで、こんなUFO狂いの研究者のテキストなんて訳している場合じゃないんだけどな。とっとと片付けよう……と思うんだけど学者の悪文てほんと厄介だ。学者の書くのがどれも悪文て話じゃもちろんなくて、ただ悪文の学者というのは確かにいて、情報量ばかりが無駄に多くてほんと苦しめられる。おまけにこいつは自己満足的な笑えないユーモアも交えてくるからほんとに面倒くさいやつ。こういうのと向き合っていると小説家やライターの言語感覚というか文章力ってそれなりにすごいんだなとしみじみ感じる。こういう案件はもうこれで最後にしよう。取っ払いの仕事してるほうがまだマシだよ。と愚痴りならが今夜のラストスパート。ほんと、早く終えたい。ほかにもやらなきゃならないことがいくつかあるんだ。そっちに時間もエネルギーも使いたい。人生そんなに長くないでしょ。
今進めているUFO本の翻訳がしんどいのは、なにも著者のUFO観やその自己満的ウィットばかりに起因するものではないということに思い至った。
ぼくがかつて長く一緒に働いたとある社長は東日本大震災および東京電力の原発事故ののちスピ転し、それからじょじょに度を深め、ついに一種のスピリチュアルマスターとなってしまった人なのだが、あの当時の感じが甦って来るというのがこのしんどさの一因なのだと、今頃になって気付いた。
出版の仕事だったはずが、スピ系の人々の出入りが増えるに従い業態を変えていき、それから数年、一口には説明し難いことがあれこれ起きて、最後はオフィスの夜逃げまで経験することになった。
彼のことは今でも(個人としては)嫌いではないしぶっとんでいて面白い人ではあるのだが、それから起きたコロナ禍で彼の陰謀論/陰謀史観がさらに加速し、ああこの人はほんとに一線を越えてしまっていたんだなと、そう実感したのだった。
自分の潜在的な心理や封印した記憶のようなものが、この作業を通じて意識の表層に浮上してくるのがキツさの正体なのだろう。まあこれは取り立てて害も無い本だから、苦行と思えば行けるかな。