原爆図の「丸木美術館」
●特別展示 東京大空襲・記憶の色を保存する「炎と灰のモンタージュ」 尾方純 展
開催日:2023年3月1日(水)~ 4月9日(日)
marukigallery.jp/6227/
※リンクは企画展の解説(ぜひ)

これはもう必ず行くと決めていた、画家の尾形純さんが描いた「東京大空襲」の連作の特別展。それを見に埼玉、東松山市

1945年3月10日の東京大空襲の当時、小学3年生だった尾形さんの母親の記憶に基づく、疎開先の飯能から眺めた空の色の記憶。そしてその後、自宅のあった杉並区代田橋へと戻って目にした灰色の残骸と化した町の風景の記憶

これが適当な言葉かどうかはわからないが、素晴らしかった

広島の「原爆の図」の圧倒的なシリーズを描き続けた丸木位里・俊の画家夫妻の作品を保存・展示する《丸木美術館》での企画展。このロケーションも完璧だった。完璧だったが、これは他の場所でも人々の目に触れるべき展示だと強く感じた

まさかと思ったが、尾形さん御本人がいた。その解説がまた素晴らしかった

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(原爆の図・丸木美術館)池袋から1時間以上と確かに距離はあるが、ここは必ず見ておく美術館

もちろん常設の丸木夫妻による「原爆の図」のシリーズは必見

今回は上記の尾形純さんの企画展( marukigallery.jp/6227/ )に加え、1階の特別展示スペースの「趙根在写真展 地底の闇、地上の光 ― 炭鉱、朝鮮人、ハンセン病 ―」も強烈だった( marukigallery.jp/6098/

世界中から作品を観に来る人々が絶えない美術館なのに、テーマ故か、行政からの支援は薄いと聞く。薄いというか、半ば積極的に黙殺されてさえいる

あの加藤登紀子の夫の活動家、藤本敏夫(加藤登紀子とは獄中結婚、その後は有機農法の専門家になり《大地を守る会》の初代会長)が潜伏していた過去もある場所。共鳴する様々な人々が、この美術館を活動の場にしてきた。おそらく地域で最高レベルの文化施設であることは間違いない


原爆の図、話で聞いて知っていても、印刷で見たことがあっても、実物があれほど圧倒的なものだということは、足を運ばないとわかりませんよね。

私が行ったのは、沖縄の石川真生さんの写真展を見るためだったのですが、本当すごい絵でした。描かれているものの主張を看取して終わりの絵ではなく、それを超えて絵としての凄みがあるというか。。言語にならんから絵を描くんだ、という、その決意と迫力。

駅からぶらぶらと農道を歩いてたどり着く行程を含めて、身体に記憶をたたきこむような美術館なのだと思います。また興味深い企画展が開かれているとのこと、情報ありがとうございました。

みんな一度、食わず嫌いしないで見たほうがいいよー、と思うのですが、美術好きな人にはなかなか相手にされない感じがあって、歯がゆい思いをしています。

いらっしゃいましたか! それは素晴らしい。そう、あのロケーションがまたね…… でもだからこそ、あのような場所に何故あのような絵が(!)という驚きと同時に、あれをあのような場所に閉じ込めておこうとするこの社会のあれこれに思いが及んで、ダブルで暗澹たる気持ちになってしまうという、そういう偶然の装置なのかも知れませんね

あれを美術的・文化的価値として評価できない日本の美術界ってなに? と思いますけど、それがいかにもこの国らしくてもう溜息しか出ない感じです

実は距離こそそこそこあるのですが、僕の生家は同市内のまた別の外れにあって、それでときどき足が向くのです

> みんな一度、食わず嫌いしないで見たほうがいいよー、

ほんとほんと、でも市にバスを通してもらえないなど、逆風が強いようですね。なかのひとたち、本当に頑張ってくださってるなと思います

去年の5月、受け付けないと言っていたのに香典が送られてきたりしてしまい…… 大した額にはなりませんでしたが、それはすべて丸木美術館に寄付させてもらいました

今回の企画展の画家、尾形純さんは、縁あって長く知っている人なのです。絵画の修復のスペシャリストという顔もお持ちで、丸木夫妻の「原爆の図」の修復に加わられたこともあるとのこと


ゲルニカは立派な美術館に落ち着いたというのに…という感じですよね。もし国からのお金に頼りたくないというご遺志があるのなら、みんなで支えなければね。私もごくわずかですが、コロナで収益が減ってしまった時に慌てて寄付したことがあります。

せめて埼玉の小中学生はみんな遠足で行くとか、そんなふうになっているとよいのですが。。

私は子どもがいませんが、「親に怖い絵を見せられていやだった」という感想でもいいから、子どもの記憶に忍ばせておきたい作品群だなーと思ってしまいます。

それはそうと、俊さんの絵本「うみのがくたい」のお魚の絵が好きだったので、そういう子どもが大人になって「原爆の図」と出会うと、よけいに衝撃が大きかったのかも。。

ピカソはあのとおり賢い(あざとい)ので、絵が生々しくなることで忌避されたり敬遠されたりすることを嫌って、あえてあのように解釈の幅を持たせる画面を構成したという話をどこかで聞いた気がします

> 俊さんの絵本「うみのがくたい」のお魚の絵が好きだった

そうそう、素敵な絵を描くんですよね、俊さん。丸木美術館にあった解説によれば位里より俊のほうがデッサンが上手く、特に人物のについては俊の画力がかなり重要だったようです(記憶違いかも)

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