20代の頃、ちょいちょい一緒にいた年長の人が行きつけだった新宿のミュージックバーに、よく連れられて行っていた
酒と音楽のせいでその店のこと、というかその店の店主のことを思い出した
何度か通ううちに店主に顔を覚えられ、なにか聴きたい曲はあるかと訊かれた
身辺の慌ただしかった時期で、オーティスレディングの「Try A Little Tenderness」をリクエストした
すると店主はしばらく難しいい顔をしたのち〝黒人〟に対する聞くに堪えない罵倒をはじめたのだった
だって今流してる音楽だってアフリカンルーツじゃないですかと、ブルースロックを流すスピーカーを指さしながら反論したけど、それでも店主の勢いは止まらず、堪り兼ねた僕は同行者に一言詫びて店を出た
しばらく経ってまたその店に連れて行かれた
すると店主が「こないだは言い過ぎた」と言って「Try A Little Tenderness」を流しはじめた
しかし音が違う。歌も違う。こちらはアホみたいな顔をしていたんだと思う。「これは〇〇っていうバンドのカバーでね…」と、コケイジャンのみで構成されたそのバンドについて教えてくれたのだった
当然のことながらその店のドアをくぐることはもう二度となかった
無理ですよね
ちなみにそいつも非コケイジャン
人種やらなにやらについては、それぞれにルーツと成り立ちの異なる音楽、異なる文学、異なるアート、異なる食…… などから興味のきっかけを与えられてきたことが多いというかほぼ全てだった気がする。そのうえで様々な人々と出会い、会話を通じるなかで、こちらのバイアスがどんどん削られていった。知らなかった歴史をその都度教えられた。へー!!! スパイスの歴史ってシルクロードもあるけどイギリスの植民地政策がデカかったのか!!?? とかそんなこと
食と音楽はかなりダイレクトに影響を及ぼす。その先にビジュアルアートや文芸がある(とくに言語に頼る文芸は〝翻訳〟というプロセスを要するので時間を要する)
そこから歴史を紐解ける
限界はあるだろうけど、やわらかく抵抗していきたい
食も音楽も文芸も視覚芸術も、そのなにもかもを根こそぎにする資本主義を見直す方法を探りたい、というのが人生のテーマになった