同じようなことを夫氏がむかし言っていたけど、年代や地域柄や環境によるのかなという気もする。今の小学生を見てると男子も優しい子が多くて、男子どうしでも腕力に頼る喧嘩はあまりやらない感じ。数少ない暴力的な男子はほぼ女子をタゲっていて、男女双方から避けられて孤立してる。だからって男の子どうしの競いあい自体がなくなったというわけじゃなさそうで、強さや体の大きさ以外でも「勝負」できるようになったからステージがそっちに移って、競争の内容が多様化した感じかなあ。まあそういう競争は小学校よりも中学高校で激しい印象があるし、「男子社会」からのドロップアウトを決める子が増えるのもそのあたりからだよなあなんて
https://twitter.com/yoppymodel/status/1670583342838984704?s=46&t=6mVrI2_13-4zOJWZwR3Nog
https://note.com/yuzuka_tecpizza/n/n3f54976b4247
この「自分が子供が出来てから『怪物』を見て、自分の「アリエルの配役がいやだ」と思う気持ちが差別だと気付いた」という文章に、一部のセクシャルマイノリティ当事者やアライが「我が事にならないと気付かないのは特権だし差別的では」と厳しい言葉を投げているのだけど、友人のこと、知り合いのこと、子供を持った親となって、そこで初めて気付くこと、得る視点があることすら「我が事にならないと気付かない特権」と否定してしまうと、それはソフトな総括でしかなくない…? というお話