「メタモルフォーゼの縁側」続き①
あと、良い意味で「ひっかかり」のない映画だった。「BL」は《女性が男性同士の性愛的な交流を愛でる》コンテンツであり、男性の性欲には寛容だが女性が性欲を持つことを認めない日本ではしばしば逆風に晒されてきた(自らを揶揄して「腐女子」って単語も使われてきた)
一歩間違えばくだらない自虐ギャグになりそうなのに、この映画は「BL」を貶めることなくうまく取り扱っていたとおもう。
映画で一番「いいな」と思ったのが、「商業作家」も「同人作家」もおなじ『作家』として扱っていた点。主人公がやっていたのが二次創作かオリジナルかはボカされていたのだけれども、技量が違おうと、動機が何であろうと、それは等しく苦しみであり喜びなんだってことを描いてくれていた。二次創作やっている身には沁みた…。
「君の側にいるから僕は自分の形が分かる」「君がいるから頑張れる」というメッセージを、17歳と75歳・幼馴染の私と君・作者と読者…という何層ものバリエーションで、どれにも等しく優しいまなざしで映し出していた。この映画は、何かを目指して走ることも、とりあえず次の目的地に走ることも、どちらも肯定する。
続く→
「メタモルフォーゼの縁側」続き②
好きな物を大事にするのは難しいよ、何か一つの目標にむかって走り続ける情熱を持っていないからと落ち込む必要はないんだよ、隣にいるひとと「またね」の約束が叶う事って尊いんだよ。そんなことを、陽だまりみたいな暖かく明るい映像で映し出す。本当にいい映画だった。エンドロールで脚本が岡田惠和さんだった。どうりで。