【読書メモ】
ロラン・バルト「作者の死」(1968, R. Howard英訳) より
« [...] explanation of the work is still sought in the person of its producer, as if [...] it was always, ultimately, the voice of one and the same person, the author, which was transmitting his "confidences." »
« 作品についての説明は依然として、その製作者の内面/人格に求められる。それはあたかも、作品とは常に「作者」という単一の、(変化することのない) 同一の人物の声による「秘密」を明かしているものであるかのようである (が、実際はそうであるべきではない)。 »

半世紀以上前から、「作者の伝えたいことを正しく知るのが正しい鑑賞/読書である」というような作者至上主義に対する批判があった。
しかし現代でも作者至上主義がまだ根深く残っているのは、この批判が誤りだとされてしまっているのか、それとも理解されないことで無視されているのか。

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これをもとに、作者ではなく鑑賞者/読者が自身の場所を取り戻すための動きとして、いわゆる感性至上主義が台頭したはず。
これは結局定着しなかったわけだけど、ただの流行りであり美学の本流には無いものとして片付けてよいことでも無いとは思う。

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