我投票了!💪💪💪
SNSで見かける投票済証、私は今まで見たことも貰ったこともなくて、何に使うでもないがせっかくだから欲しいなー今回は聞いてみるか、と思ったら直前に投票を終えたカップルがもらってたので、便乗してもらって来た。そのカップルの話では、これまで3〜4回貰ったけど、毎度デザインが違うんだそうな。専用のフォルダ作って保存しているらしい。いいね。
🗒WIP:鄭和さんの話(仮)
水都百景録の二次創作の鄭和さんを書いているうちに、史実の鄭和さんについての歴史小説を書いてみたくなって、今年に入ってからあれこれ調べたり構想練ったりするのだけれどうまく進まなくて、
「こういう風には書きたくないってこと?」
「うん」
「じゃあどんな話を書いてみたいの?」
「ぶっちゃけ鄭和という人物は実在しなくて、実は単なるプロジェクトの名称でした〜ジャーン!みたいなエンタメ?」
「そんならいっそ、一度それで書いてみなよ」
からの構想練り直し、史料読み直しで、やっぱりどんな人物であれ、これはとにかく居たわ、これをいなかったと言うのは、何かのエンタメにはなるけど歴史小説にはならないわと腹を括ったので、改めてWork in Progress立項して、ゆるゆる呻吟していく予定。
ということで、訳のわからんゼミ発表している人みたいな感じで緩く眺めていただけるとありがたく。とりあえず2〜3万字の短編13作くらい書くつもりでいけば完成するんじゃない? と私の中のお調子者が囁いている。いやいやいや…
本日の進捗:旧Twitter上の創作企画「ペーパーウェル」に向けて、告知用の画像を作っていました。バランスがうまく取れぬ。
自分で自分の作品のアオリ文書くのこっ恥ずかしいけど、こういう機会でないとこういうこともしないので、フォトショが言うこと聞いてくれないと泣きながら楽しくやっているところ。配信は今週末から1週間くらいです。
🐈:昨夜、隣家の猫がお隣さんに閉め出されてしまったらしくベランダで1時間ばかりもぎゃおぎゃお鳴いていて、「こっちで休んでいきな」と声をかけるのも疲れたけど、お隣さんに「猫がしまわれたがってますよ」と言いに行くには着替えないといけないめんどくさいな、と、とりあえず自分の寝床の仕度をしに行ったら、いつの間にか我が家の網戸の外にいた猫と目が合ってしまい、「にゃお!(開けなさいよ気が利かない!)」とすごい剣幕で怒られて、「あ、ごめん、開けるね…」と開けたらスタスタ入って来てそのまま隣の部屋の暗がりに陣取られてしまったので、結局、窓を開けたまま寝たのだった。朝起きたらとっくにいなくなっていたけど、いつ頃出て行ったのだろう。そう言えば、夏に窓を開けたまま寝ていた数年前、目覚めた時に誰かに覗き込まれていたような生々しい感覚が残っていたことが何度かあって「誰か侵入した…? こわ…」と思ったりしていたが、あれはひょっとすると猫に覗かれていたのかも…
(↓画像は我が家の本棚部屋を視察している隣家の猫ですが、部屋が汚すぎて綺麗好きの人は泡を吹いてぶっ倒れるかもしれないので、閲覧注意にしておきます)
✏️本日の進捗(割り込みショートエッセイ):2350文字。
Twitter上の某創作企画のテーマが「ミュージアム」だと知って、時間もないので過去作で参加するかと思ったものの、おまけにショートエッセイもつければお得では?と思いついて突発的に書き始めたもの。書きやすいところから書いているので、今いるところを星印にしている。自分の経験したことを作品のかたちで届けるのは案外むずかしい。
✏️本日の進捗:ver.1→ver.2
もやもやと書きたいことはあれどうまく話が浮かんで来ないので、見切り発車で最初のパートを書いた。メモ含めた全体で5000字弱。文章が繋がっているところは2165字。これから仕切り直して全体の方向性を考える。正直、今の自分にはだいぶ背伸びしたテーマな気がするし、どういう切り口が出て来るかもまだ全くわからず、従ってどの程度の字数を想定すれば良いのかも全然不明だが、できれば書き上げられるといいですね。
📙鳥図明児『虹神殿』
週末は土砂降りだったり土砂降りお天気雨だったりしたので、スコールが降る南の国を舞台にした鳥図明児『虹神殿』を久しぶりに読み返していた。死んだ大臣の息子で大学を最年少で卒業したものの古い神殿遺跡の修復にうつつを抜かしているために「バカ若様」呼ばわりされている少年サーナン・ハーシが、否応なく権力闘争に身を投じつつも神殿の主である空神の声を聞き、その沈黙の意図を推しはかろうと苦悶する話。その間に、北側の国から南の発展途上国に押し付けられるモノカルチャー経済、その結果の国際的なコーヒー価格の暴落による経済危機とそれに伴う小麦の投機、税制改革と民族資本の形成…と構造的な格差の問題が緊密に描き込まれて、40年前(1983年に単行本刊)の作品とは思えない現代性を保っている。舞台の国は名前を与えられず、何となく東南アジアかインド近辺な雰囲気を纏うが、アフリカ等も含めた南北問題的な意味における「南の国」ということで良いのではないかと思う。作中に登場する日本人・石長は服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』も連想させるし。
多分、80年代性をもっとも具現しているのがこの石長で、「マヌケだが経済合理性と絶対平和主義を掲げ、非白人を差別せず、勤勉かつ誠実に課題解決に努める」日本人像は、理想像としても今や遠い。
積読の山を崩していたら、500年前の鄭和さん強火担を発見してしまい、ちょっと脳みその処理が追いつかないでいる。
1520年に蘇州の黄省曽という人が書いた「西洋朝貢典録」という著作なのだが、序文をいきなり「西洋之跡、著自鄭和。鄭和、永楽初為内侍」と書き始めてやたら鄭和さんフィーチャーするなと思ったら、具体的な事績から鄭和さんの容姿評価(でかいとか虎のようとか内侍中ピカイチとか)まで引いて「何て賢いんだ」「とても智略に富んでる」的なコメントを本文中でも連発しており、これはまじで鄭和さんに惚れ込んでやがる…になりました。
鄭和さん基本的には永楽帝に使節として派遣された宦官だから、自身が主語として語られることはほとんど無いし、文法上主語になっている場合も「命を受けて/勅を奉じて使いし」みたいなのばかりだから、本人を捉えて「彼が有能だったのだ」と評価されるのはすっごく珍しいと思う。主に軍事面での評価(地域勢力の紛争に介入し安定化を図ることによるマラッカ海峡のシーレーンの確保)なので、ちと微妙な心境ではあるけれども。
なお、黄省曽の子が文徴明や祝枝山に師事したらしいので、黄省曽も彼らと交友があったのでは…?というところも気になっている。呉派、書画だけでなく結構色々な方面にリンクが飛んでいて、びっくりだ。
祝枝山の「前聞記」という著作に鄭和の航海の記述があるのでついでに前後を眺めていたら、面白い記事があった。
永楽帝の時代、外国から来た使節がめっぽう酒に強いので皇帝が「あいつと勝負できる奴はいないのかよ。情けねえな」とか言っていたら、曹状元が「自分、やります」と言って使節を飲み潰して平然としていたので、皇帝は大喜びしていっぱいお酒を賜りましたとさ、みたいな話。状元がそんな飲兵衛でいいのか。
https://zh.m.wikisource.org/wiki/前聞記
江南百景図の篝火大会、もろに鄭和さんに関する話題なのでゴロゴロバタバタしている。たまらず壁紙にしました。
なお、そういや南の海の気候はどんなかなとお天気アプリで見たら、マラッカもモルディブも気温最高で32度、湿度75度とかでまあまあ蒸し暑そうだけど、今の東京が気温31度(最高は36度)、湿度85度だから南の海に行った方がよっぽど快適そう。
マキノヤヨイです。創作集団こるびたるの中のひと(もしくは外のひと)。ここは、主に創作活動のゼミ発表的な使われ方をしている場です。