今日は、娘のダンス発表会があった。当事者である娘より、なぜかワクワクしてしまい、4時半に起床して、かなりスロー・ペースで11km ほど走った。二度寝する訳にもいかないので、覚醒するために、朝から少し重ための朝食を取った。

時間が押しているのに、なかなか起きてこない妻と娘にイラつきながらも、「まぁ、遅れてもいいか…」と、自分を落ち着かせて、ゆっくりと発表会の会場に、家族で移動した。いつもの練習とは違った場所で、しかも大人数の踊り手と観客のいる場所でのダンスは、娘にとっては良い経験になったのかと。離れたところから見ていて、緊張するどころか、笑顔で自分の出番を待っている表情に、思わず顔がほころんだ。ダンスは、あまり覚えていなかったみたいだが😓

人前で自分を披露することに快感を覚えるのは、それなりに役に立つことかも知れない。私は苦手だ。ただ、ストレス発散のカラオケなら、人目を気にしない。デビューは社会人になってからだが。そういう何か、人に誇って見せられるモノをもっていると、そこからどんどん広げてゆけるかも。娘には、多くの人を楽しませることのできる人になって欲しい。そんなことを、ふと思った1日だった😊

それにしても、ダンスもいいな。私も始めてみようか、と思えた。日本拳法にも活きてくる動きがあるかも。

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200万年にも及ぶ、狩猟生活時代の行動が、人間の本能を引き出す、ということで運動が、特に「走る」のが心身に良いという本は、よく見かけるし、実際に何冊も読んだ。それと同様に、「音楽」と「踊り」も、かなりの歴史があるのかと。発表会が始まって、急に物凄い動きを見せられ、唖然としていた観客も、次第に気持ちが融合したのか、無意識のように手拍子を打っていた。

頭の中を空っぽにして、運動に集中する、という点では、走るのも踊りも、似たような作用があるのかも。約1万年前、人類が農耕生活時代に入り、狩猟生活時代の野蛮性を解放する場として「祭り」が生まれたという言説を聞いたことがある。「踊り」はその中心だったのかも。

いちばん原始的なのは「走る」で、「踊る」は少し進化した人類が生み出したモノなのかも。違いは、集団で楽しめる点にあるのかと。私は、かなり内向的で、「人間は社会的動物である」というのはウソだと感じていたが、踊りを通じてなら、他人とも共感できるのかも知れないと、感じた。

繰り返しになるが、非日常的なイベントは、私にとって良い刺激になった。妻も娘も楽しかったに違いない。帰宅して、そのまま寝入ってしまったのは、私だけだったが。ヤツらは、元気いっぱいだ。いや、元気すぎて困るくらいだ。少し元気を分けて欲しい😄

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