職人は道具が身体の一部になったような感覚をもつ、という。実は職人でなくとも、愛着をもてば、身体の一部であると、脳は勘違いものらしい。子どもの頃、ゲームなどでキャラクタが攻撃を受ければ「痛ッ!」とか言ったりしたものだ。少し大げさな気はするが。
メタバースで、アバターと呼ばれる、自分の代理のキャラクタが活動する空間で、同様のことが起きるものなのか。自分の感覚からすると、あまり思うようには感情移入したり、自分の一部とまでは感じないのではないかと思っている。
最終的に意思疎通を図る手段は言語や仕草が主体になるので、今の SNS に3次元のキャラクタがくっついただけのオンライン・ゲームのようなモノにしかならない気がしている。
これも世代によるもので、それが普通だという感覚で育つと、順応してゆくものなのだろうか。お年寄りもスマホでネット社会に順応したことを鑑みると、それが当たり前になっているのかも知れない。少なくとも、今はそんな未来の到来に、私は懐疑的ではあるが。