『ボーはおそれている』ネタバレ 

この映画にはターゲットとなる観客がいて、それは毒親のせいで精神疾患になった(と、自分では思っている)わたしのような人間だと思う。アリアスターに「はい、きみの話だよ!」と名指しされたみたいで青ざめそうになった。で、ボーは死ぬことで「完全無欠な毒親被害者」になったわけで、それってこの映画を観る毒親被害者にとっては喜ばしいオチよね。なんの落ち度もない純然たる被害者だということがあの理不尽な死によって確定した。ほらやっぱりすべて毒親が悪いんじゃん!という。アリアスターが笑顔で「精神疾患でつらいって? その原因となった毒親を喜ばせてあげられないだめな自分が許せないって? もう自責はやめなさい。きみがだめなんだとしたらそれは精神疾患のせいだし、つまり悪いのはすべて毒親なんだよ」と肩を叩いてくれる、そんな映画だった。わたし、こんなに優しくおおらかに肯定されてしまってどうしようと思った。逆に居心地が悪かった。

そういえば先日『ナポレオン』を観て、リドスコの「俺が萌えるカップリングは、こういうやつでーす!」というプレゼンとして受け取ったわたしは大いに楽しんだんだけど(萌えたし)、元々ナポレオンのファンだった夫は非常にがっかりしていた。期待していたものと全然違ったらしい。かわいそうだった。まあでも確かにこれナポレオンという題材でやらなきゃいけなかったのか?と言われるとうまく答えられない。
思い出したのは『ファースト・マン』のことで、わたしは心の底からエンジョイしたんだけど(ゴズリングの演技に心をえぐられまくり、めちゃくちゃ泣かされてしまった)、アームストロング船長のファンはがっかりしたかもしれない。そんなのアームストロング船長じゃなくてオリキャラでやればいいじゃん!と言われてもうまく反論できない。でもいい映画だったよ。

1974年に出版された葛原妙子の全集を手に入れた。『橙黄』〜『朱霊』まで収録されている。すごく嬉しくて、さっそく開いて読み始めたんだけど、漢字が旧字体だった。そりゃそうか。
すぐわかるやつと、推測できる(※正しいかはわからない)やつと、もう何なのか全然見当もつかないやつがある。見当もつかない旧字体漢字はスルーするしかないのだけど、そうすると歌全体の意味がわからないのよね。
「日本語なのに読めない」シチュエーション、なかなかないことなので面白い。新字体なら漢字が読めないことってあまりないもんなあ。

夫が「トコトコ〜」と口で言いながら歩いてきてたいそう可愛かった。

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