学術研究のほぼほぼ最初の頃に、
「対象について定義せよ」ってあるよね、
それが諸々の問題を生み出してしまっている気がする。
マナーやルールとしてそこを通過せよという分野の要請はわかるけれど…
曖昧なもの、曖昧なものだからこそ政治的なもの。
曖昧なものを排除した定義ではなく
曖昧なものだという定義は定義をすり抜けて、
定義という行為の問題そのものを突く。
定義は力であり権力。

定義を迫られるのはいつもいわゆるマイノリティ側が多い気が。
「定義せよ」という側はいつも透明で普遍
定義というプロセスから自由な存在。
自らは曖昧なのに定義せよという権力を行使できることで、自らの曖昧性を不問にしつつ、
相手を定義できるものと定義できないもの、
曖昧ではないものと曖昧なものとに振り分け、曖昧なものを捨象する。

学術研究と言っているけど、書いている意味は、いわゆる社会学をイメージしています

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「社会学の定義」っていうのはあるけど、
「定義の社会学」っていうのはあるか気になる

こういう部分は系譜学とかカルチュラルスタディーズの意味の接合という部分ですでに議論されている部分だと思う
定義できないものは研究できないという感じにならないようになればいいなと思いました。

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