「人類の精神は、それを際限なく増大することに、その力を無限の拡張に、知と美とにおける無限の発達に、その理想を見出す。この理想に到達するために、教養は欠くことのできない助けであり、それが教養の真の価値である。」アーノルド
人間にとって役割は不必要
俺の人生には何もないということをまずそっくりそのまま受け入れる必要がある。
片思いは精神的な自傷行為で、そのようにして何かの感情を動かすというのは娯楽である。辛いというのは一種の娯楽である。何もないのには耐えられないのではないか?
ちゃんと敗者になることが目標である。敗者になることは誇りである。
コミュニケーションは、他人とすることではなく、本質的には自分とするために必要である。そのために、表現expresstionする必要がある。それは本質的には他人は必要がない。
哲学の論文とか、もっと結論部分を簡潔にわかりやすく伝えることはかなり可能だよなと思った
反出生主義についての詳しいpdfhttps://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/284629/1/shinran.45.0_216.pdf
貨幣のあり方とかそのようなこと全てを一から考えて出力する。
人々のつながり方、リゾーム的とか家族的とか、そのようや根本的な思想
大部分バカにされるようなことをしなければならない。そしてそれは俺にとってのこうあるべき社会の提示である
俺はもっと大それたことを思いつく必要があり、それを実行しなければならない
人ってまじで死ぬ。後悔しないようにしないといけない
人と比べて何かを論じることが下品であるということだ。
それと同じく欲のあることを誇るのではなく、欲のないことを誇ることも無意味である。こう考えていくと、何を誇るのか?誇ることが下品になのか?
物質的に豊かな生活を誇ることが下品であることを考えれば、ミニマリストのようにless is moreを誇ることもまた下品である。なぜならナルシシズムに浸っているから
今の俺はスケールが小さすぎる。それにつきる。
コスパの追求って、罰ゲームを考えるみたいなもんだな
原爆は、その後の終結によって正当化される理由を持つが、終結しなかった場合も考えられる。その場合には民間人をただ殺した兵器として歴史に名が残る。
どちらも悪い行為で、どちらがより悪いのかを判断するだけである。だから、私たちは正しいではなく、より悪くない判断であった、という認識をすることが妥当ではないか。
トロッコ問題その2
https://twitter.com/sukuitohananika/status/890428837523111937
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