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つまり、当人はその後かならずその選択を背負って生きるのであり、かならず裁かれるべき行為をしてしまっているのだ。だから、その選択をせざるを得なくなった当人のが悪いということもいえる。

どちらが正しいのか?という設定がそもそもおかしくて、どちらも正しくない行為であり、どちらがあとで後悔しないかというだけにすぎないのであって、これは誰かにとっての選択ではなく、当人の納得度でしかない。

レバーを引いた、俺が殺したんだという罪悪感があるからこそ、過剰に正当化せざるを得ない。

トロッコ問題は、レバーを引く者が、レバーを引いたことを一生背負って正当化せずに生きるという前提がある。もしくは、俺は正しかったんだと正当化しつづける人生。アメリカはこちらだ。

トロッコ問題は、線路上にいる人間が何を背負っているか、何を受け入れた上でそこにいるかが問題になる。

note.com/dora_yaki/n/nf276abc4

責任の問題は、中動態の話になるからめちゃめちゃ難しい問題である。アメリカと日本の責任、ビックモーターの社員と社長の責任

アメリカ的な正義の一環で、原爆について肯定したい気分というのがあるのだろうね
note.com/774notes/n/ne9b141621

野生の清少納言っていうコメントがその通りだった

東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか
anond.hatelabo.jp/202307290124

「本心だけの世界は人間は耐えられない」

知っていることを書くのではなく、知らないことを書くのが作家なんだな
gigazine.net/news/20230728-eli

日本語で読む記事を英語に翻訳して読むということをし始めた。

勝とうとすることのダサさもあるが、負けることで勝とうとするダサさには叶わない。

マウントされるとき、それは自分が気にしているものからマウントされる。

俺はただ全力を尽くしたいだけだ。と思った。

例えがめちゃ秀逸だ
「人間に例えると、肩が触れあっただけですぐにキレるようなチンピラは、低圧縮比+レギュラーガソリン。肚ができていて、ちょっとやそっとでは動じない大親分が、我慢に我慢を重ねていよいよ堪忍袋の緒が切れて大爆発するのが、高圧縮比+ハイオクといったところ。」

webcartop.jp/2021/09/773061/2/

性行為とはマウントを取るための行為で、誰にマウントを取るのか?が重要になる。オスザルが同性にマウントを取るためにするように、人間も異性(同性に)マウントを取る。社会的地位の低いような、マウントのしがいがない人とはあまり行われないということも言える

「救えなかった」は自分のことを多めに見積りすぎている。他人ができることには限界があり、自由意志が存在している以上、その人の判断を尊重すべきである。

自己と他者の線引きができていないのは自分もそうだな。
何かに縋りたいし、守ってもらいたいし。そのことは自覚しないとな…
note.com/morusuko/n/n4e662f864

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