“一つずつ見ると筑紫明朝にはどこか硬いところがあります。仮名がやや横に広がって全体の安定感を確保してもいます。従って全体としては文字それぞれが独特の運動に向かうというより、組版という組織的作業への準備がなされていると思います。行の意識化、しかし逆にそのような組版面に組み込まれた筑紫明朝は碁石のように並べられているのではない運動を開始し、行の中で様々個々の文字の表情が現れますね。暴れると批評したのはそのへんです。”
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