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高校でディベート部に入ったが、あまりに競技化されすぎていて「社会・時事問題等に対してマジで何も深められないだろこれ」と思ってすぐ辞めた - Togetter togetter.com/li/2362986

小学校の時に国語の授業で「一つの花」の主人公のゆみ子は幸せだったのか幸せでなかったのかで討論することになったのだが、クラスの座席の右半分・左半分で分かれて討論することになったのよね。
物語を最初に読んだときの印象としてはゆみ子は最終的に幸せになった感じがして、幸せでなかった派で戦わないといけない方は劣勢だと思われた。
しかし、幸せでなかった派が次々と幸せだった派を論破していき、最終的にディベートとしては、劣勢と思われた幸せではなかった派が勝つことになった。
ディベートというのは、討論で戦う競技・バトルの場で、話し合いをするものではないということと、そしてそれは正しいあるいは正しいと思われる答えとは、そんなに関係ないことを学んだな。

ちなみに、ゆみ子は幸せだったか幸せでなかったかで討論しようというのは、指導要綱に入っているらしい。文科省やるな。
ただ、座席の半分で分けて、支持しない意見の側で戦わせるという指導をした先生は、なかなか面白いことをやらせたものだなと思う。

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