お雪が「わたし」を3回繰り返した理由、
巳之吉にベタぼれしている雪からしてみれば、正体がばれたら去らねばならないので、気づかれたくない一方で、『自分のことに気づいてほしい』という矛盾した気持ちがあったはず(だから、雪女の話を始めた巳之吉に先を促した)。
だから、口留めを破って雪女のことを放してしまったうえに、雪の正体には一向に気づかないという、雪にとっては辛い行動をとった巳之吉に対して、「その女は私!気づいて!!」という強い気持ちをぶつけるために、3回繰り返したのだと思う。
『雪女・妻・母の3人の女はハーンにとって同じ女であることを表現している』という解説は読みすぎのように感じたなぁ。>BT
特に、『母』を入れるのは強引なように思う(雪女の物語の中の母は、雪を賞賛するために登場する脇役でしかない)。
それから、巳之吉が殺されなかったのは子どもを育てさせるためじゃなくて(それは雪の言い訳であって)、シンプルに殺せなかったからじゃないかな。描写からそう思うけどなぁ。
(民話の場合は、登場人物の言動を現代の感覚から解釈できない場合もあるけど、『雪女』はハーン創作の近代の小説なのだから、雪の内面を現代的に解釈しても問題ないと思う)