@nnhi 大田は鉄道開業前は本当に何もないところで大田の名のもとになったのも「大きな田んぼ」を意味する半島固有語の한밭で、駅が出来たときにこれを意訳して漢字を当てたのが大田で、蒸気機関車時代の給水/炭拠点として駅前市街地が出来(とは言っても1910年代は駅前にちょろりとあるだけ)、今の湖南線にあたる路線が大田から分岐したことで拠点性が高まって都市になっていったという経緯ですね…
@nnhi 釜山は朝鮮側の歴史的な街道筋は金海~東莱~水営のラインで朝鮮王朝時代の行政拠点は東莱で、今のいわゆる釜山の辺りは日本の租界的な倭館とそれを見張る子城台が釜山鎮にあり釜山港~南浦の辺りは漁村でしたですね…
@kotonoha_s 勉強になります……。たしかに大田、そもそも日本語的なセンスの地名ですね改めて。釜山もなるほど、歴史を追ってみると面白そうです。韓国版時層地図とか見てみたいです。
@kotonoha_s ありがとうございます。そういえば西海岸は青べか物語の如き遠浅でしたね…。おもえば平壌も開城も内陸ですし、元来の内陸志向も強いのでしょうね。一度しっかり王朝時代の地図を見てみたいです。
大田は鉄道の街?に相当するんですね…かなり大きいので昔からあったものだと思ってました。よくよく考えると釜山とかも港湾都市としては割と新しいのでしたっけ。