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アガンベン「瀆神礼賛」(『瀆神』所収)によれば、古代ローマの供犠の儀式においては、犠牲を捧げることと同時に行われる「神聖なものを汚すこと(瀆聖)」によって、生贄の一部を食べることができる(人間の「使用」に充てられる)という構造があった。

現代の宗教である資本主義は、あらゆるものを「神聖を汚すことができないもの」と化すことによって、あらゆるものを人間による「使用」から剥奪し、ただ「消費」することしかできなくする。「使用」と「消費」の違い。宗教としての資本主義から、「使用」を取り戻す必要がある。

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