ふと思ったんだけど、わたしはわからないことをわかろうとすることと、その薄ぼんやりとしたわからないけどちょっとわかる状態みたいなのが好きなのかもしれない

梶浦さんが今日
「造語の歌を聴くみなさんは、かつて昔の私がバックパックを背負ってフランス語のオペラをハンガリー字幕で見たときと同じかんじなのかなと思って」っておっしゃってた(一応、もうすこしわかってるつもりではあります!!!!けどね!!)のを思い出していたんだけど
造語の「造語」って正直音としては非常にシンプルでむしろわかりやすいとすら思ってるんだよね
でもそれは音、だけではあるんだけど

結局それか何を意味するかなんてわかんない
わかんなくてもいいと思うし、わたしは言葉にならないものが音になってるんだなって思ってるからそんなにそこは重要ではなかったんだけど
どちらかというと「わからないが確実に存在する」ことが必要だったのかもなと

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今読んでるの、ボードレールっていう詩人を論じた本なんだけど、わたしはボードレールのこと、別にほぼ何にもしらないんだよね

なんかそういうことなのかもと思った

人の解釈を通してそれを知ることとか
誰も正解を知らないものにがっぷり組んで触れてみるとか
そういうのが大好きらしいしこれからもやっていきたい
やっぱりあたらしいことをやらないとしんじゃうわ!!

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