あとね・・・・
たぶん、今後の話、
あと10年、15年くらい後だろうか、
「発達障害者に」「されてしまう」という言い方自体が、通用しないシーンはちょいちょい出てくると思って、
なぜかというと、教育に熱心な地域・ご家庭の発達障害児童らは、自分の特性をゴリゴリに見つめ、それをカバーする方法をマジ練りしているので
「イヤホンつけて在宅させてください、何万行でもコード書きますよ」とか「書類丸投げOKのアシスタントさんつけてくれれば、その人の分まで何百件でも客先回りしまーす」とかっていう、マッチョ発達障害者がゴリゴリ台頭してくると思われるので(そしてそのタイプの発達障害者はたいてい空気を読まないのでゴッリゴリいくはず)
当然そうじゃない発達障害者もいるのだけど、なんか・・・ここんとこ見る「社会適応できない健常者が発達障害認定されている」みたいな記事とかは、わりと現実感がなくなってくると思う。
社会がどんなに発達しても、資本主義的な意味で社会に適応できない人はどんな属性にも・・・定型発達・非定型発達問わず一定以上いて、そういう人もフツーに暮らせるように福祉があるので、頑張る人は頑張ればいいの。その人らが頑張って稼いで税金納めてくれると福祉にもお金が来るので、ぜんぜん頑張ってもらった方がイイ。
発達障害者、というのは神経系の凸凹があるだけなので、凹の部分が服薬やガジェットで取り返しがつくタイプの特性で、性格的にもパッカーンと開き直れるタイプはこれからどんどん進出してくるはず。
ウチの自治体の発達支援センターの施設長さんがご自身もADHDで、「いや発達障害くらい大丈夫大丈夫、むしろ不得意部分ほっといてガンガンいきましょー!」みたいな明るい人で、こういう人に支援してもらえるコたちはイエーイってくるんじゃないかなあ、なんて思っててるのね