新しいものを表示

自信はある。資本がない。
資本を手に入れる自信がない。

Kiyopp さんがブースト

今年中に、性同一性障害特例法の不妊化要件(およびもしかすると外観要件)について、合憲・違憲の判断が最高裁で下ります。判決はどうあれ、SNSをふくめメディアの環境が、かつてないほどトランスジェンダーの人たちにとって敵対的になることは確実です。判決次第では、LGBT理解増進法をめぐる地獄の状況を上回る惨状になる可能性があります。トランスの人たちは、どうか自分の身を守ってください。タイムラインを繰る手を休めて、嵐の時間をやり過ごして欲しいです。死なないでほしい。たほうで、トランスのアライでありたいとする人たちにも、お願いです。どうか私たちと一緒に立っていてください。わたしは一歩たりとも動きませんから、不安になったら、頼ってください。一歩もここから動きませんから、道に迷ったと感じたら、他のいろいろな情報源とともに、わたしの名前も探して見に来てください。

Kiyopp さんがブースト

ハマースの攻撃をお隣レバノンのヒズボッラーが「祝福」し、イスラエル側は大規模な報復を宣言していると。ファシスト対テロリストの最悪な戦争。

Kiyopp さんがブースト

想像力の欠如が戦争を引き起こすのだと思っています。ジハーディズムは想像力の欠如です。

「家族」というワードが嫌いです。そんなのは幻想でしょう。みんな他人なんですから。
血縁主義もいいかげんにしてほしいものです。

ウイルスによって誰も責任を取らない社会であることがあぶり出され、マジョリティが責任とはどういうことか少しは考えるようになると思いましたが、まさか自己責任に拍車がかかるばかりか、ウイルスの存在ごと隠蔽されるとは思ってもみなかったです。マジョリティの現実逃避はとどまるところを知らず、もはや妄想の域に突入しているようです。人類を滅ぼすウイルスには大してアプローチせず、無害な人間(主にマイノリティ)をウイルスに仕立てあげる、そんなおためごかしばかりです。

Kiyopp さんがブースト

これ本当に酷いと思う。「子どものみで外出・留守番をさせる」が生じるのは自民党に責任がある構造の問題でもあると思うけど、そこはまるっと無視して、問答無用で責任を『家を空ける親』に求めるものですよね。そしてその『親』っていうのは、おおむね母親だし、ひとり親だ。家の中の問題を家の中で解決しろと言われている。そしてそこで罰せられるのは大体女性になる。

結局このことって『父親と母親が揃い母親が家を守る』、もしくは『2世帯住宅』という家族の形を推し進める……というか、脅迫するものに思える。だって、こういう条例を通すからといって保育園の環境だとか改善する気はないよね。子供の安全を建前にして、『正しい家族の形』を市民が自ら選んだというふうにさせることに繋がっていく気がする。政治の側からしたら責任から解放されるし、『伝統』は守れるし、いいことばかり。クソだよ。

tokyo-np.co.jp/article/282205

Xを凍結されたことよりもカウンターを仕掛けてるはずの左翼に「ビョーキ」だの「ネトウヨ」だのラベリングされたことが一番嫌でしたね。自分にとってラベリングは死ねと言われているに等しい。だからSNSはだめなんです。正義なるものを憑依させてはいけないんです。権威主義の蠱毒の壺でしかないんです。

世界で一番ぼくのことが嫌いな人と一緒に生活しているということ。その安心感、SNSの住民にわかるかなぁ。

Kiyopp さんがブースト

大手ポルノサイトでトランスジェンダー関連のポルノが急増傾向にある…というニュース記事。主題から逸れるけど、「FTM」「MTF」という言葉、日本では当事者でもよく使っている人は見かけますが、英語圏だとあまり当事者コミュニティでは使用されない傾向があって、やっぱりこのニュースからもわかるように「FTM」「MTF」という言葉はポルノと関連して用いられることが多いんですね。
them.us/story/trans-porns-porn

Kiyopp さんがブースト

"AI" is really the new "blockchain" in how every company is trying to hit the buzzword bingo with it right now.

インプットせんでアウトプットとか無理ですやん。

マジョリティの罪悪感にまつわる話はもちろん構造の話ではあるけども転移/逆転移関係から見れる側面もある気がします。

みんな二者関係に飲み込まれている。中間領域が必要だ。遊びが必要だ。SNSは遊びではなくなった。

カウンターカルチャーは存在しないキャンセルカルチャーにより死にました。民主主義は死にました。

しかしながら現実にはマジョリティとしての罪悪感を抱えられないどころかマジョリティを憑依させている臨床家ばかりなので、サイコセラピーなど存在してないに等しいのですが。

スレッドを表示

マジョリティとしての罪悪感を抱えることは必要なことだと思う。そのためにサイコセラピーがある。そのために臨床家がいる。

Kiyopp さんがブースト

ジェンダーやセクシュアリティについて教えていると学生から人生相談を受けるというのは教員あるあるらしいけれど、学生もきちんと相手を見ているので、私は指導性や一緒に仕事している学生以外からそういう相談をされた経験はほとんどない。

で、先日珍しく相談をされて何かと思ったら、「ジェンダーを勉強していて、興味もあるけれど、自分がマジョリティだから責任があるという罪悪感が動機の一つとして大きい、勉強しながらとても辛い」みたいな話で。

「マジョリティには責任がある」というのはそれ自体は念頭におくべきだけれども、それは罪悪感を抱くべきものではないと私は思っている。これは構造の話であって個人的な罪の話ではないから。

それに、罪悪感が出発点になると、押しつぶされるか、どこかでマイノリティへの恨みが溜まってしまうか、自分の罪悪感の解消が無意識的に先立ってしまって厄介なことになるか、のどれかに陥りやすい気もする。
性の政治との関わり方としては、やっぱり「自分」の問題関心から出発するので良いと思う。

このあたり、以前から少し気になっていたのだけれど、真面目な若い人ほど袋小路に入り込みがちで、難しい。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。