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数日ぶりにTwitterでつぶやいたら明らかに口(口?)の回りが良かったので、やはり自我がTwitterに結びつけられているのかもしれない。(単に慣れの問題では)

「鉄人28号 白昼の残月」で「俺たちを忘れるのか!? ひどいじゃないか!」と嘆く戦死者の声に、「あなた達のことは忘れません」と返すのは、昔は「そりゃ死んだ当人にはそう言うしかないと思うが、だいぶうやむやにしてないか?」という感想を持った。今にして思えば、「なかったことにします(これが実態)」とも、「あなた達の死に意味はありました」とも言わないぶん、ひょっとしたらまだマシだったんじゃないか。

先日、アメリカの「原爆神話」(その中には「原爆があったから戦争は早期集結し、多数の命が救われた。その中には日本人の命も含まれているのではないか?」という語りがある)を取り上げた記事を読んだからよけいに混ぜっ返したくなったのかもしれん。
huffingtonpost.jp/entry/story_

戦時中の日本で作られていたゲームのレビューで、結びに"現在私たちが享受している平和は、先の大戦による多くの人々の犠牲の上に成り立っています。"とあり、このおそらくは無難なものとして選ばれた物言いに「人間が死ぬのと『平和』に因果関係はないんじゃないか」と混ぜっ返したくなった。お偉いさんが言ってるときは「おっ、いつもの欺瞞だね!待ってました!」くらいに思うんだが、それとも「人が死んだから平和になった」てな思考はありふれてるのか?
bunshun.jp/articles/-/64730?de

トライガン公式、初期デザインの公開まだかしら……。数日後といってから二週間経過したのでさすがにじれてきた。

大阪は昔から
台風「来んで」
大阪「来んのんか(身構える)」
台風「やめとくわ」
大阪「来おへんのか〜い」
とか
台風「来たで」
大阪「来たんか……ほんまに来た?」
みたいな感じなんですが今回もそんなやつやったみたいで。もちろんところによっては停電や倒木もあり、何もなかったのとは違いますけれども。

昨夜は気圧が下がったのかして頭と肩が急激に重くなり、早めに就寝。起床したら全身バキバキだったんだが、これはたぶんベランダを片づけたからか。

ベランダを見て「これ全部家の中に入れんとあかんの?」の顔。
いや台風のたんびたんびにやっとるがめんどうくせえ〜〜〜。

それはそれとして、こんな気温で停電やら断水が起きたら嫌すぎるのだが!?

ネガティブに考える性根なのはともかく、「2018年みたいな台風が来るかもしれない。こういう準備をしないと」と思わずに「アカン、もうしまいや〜」で動かなくなるのは、自分自身のネガティブな想像でダメージ受けてるだけ。

特に書くことが(外部に出力しようという気持ちが)ないよ期に入ったのよりも、アカウント作るのでエネルギー使い果たしたのでは?

ここを、Twitter同様に使っていくのか、ひとりでブツブツ呻く場所にしていくのはまだ考え中。
せっかくアカウント作ったのでしばらくはここでのみ喋っていこうかと思ったが、今日のところは特になにか言うことはなかったな。

こう暑いと、かき氷やシャーベットが「甘いものだから食べる」というより「食べたら回復する」ものになっている。

Fedibird

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