「聖闘士星矢」は、「悪家老に命を狙われた世継ぎの姫君を若武者たちがもりたててみごと御家再興をかなえる」ひいては「若い女性を敬う体で少年たちが戦い合い、命を落とすのを経て絆を交わす」という古い構造だし、正義と悪もきわめて単純化されているが、その古めかしさや単純さが作品を守っているとも思う。整理しようとしたり筋道立てようとしたり、あるいは「現代的」にアレンジを加えようとしたら、かえって作り手の限界や原作の不備を際立たせてしまうのではなかろか。

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つけ加え。この作品を批判の俎上に載せるのならば、構造の古めかしさとかよりも「自己犠牲の美化」ではと思う。作者が自己犠牲を真実良いものとして扱っていやしないのは、登場人物たちの死ぬ死ぬ詐欺ぶりからも明らかだ。おそらく作っていた側は、「登場人物が死ぬと話が盛り上がるから」そういう展開にしていただけで、主人公たちは何度も「実は死んでなかったんです」と復活してくる。はては、なにせ冥府の神ハーデスがいるので本当に死んでても復活する。とはいえ、「大義のためにみずから命を捨てるのは悲しいことだが劇的で"素晴らしい"こと」という展開がなぜ繰り返されるのかはさすがに一考の余地があろう。

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