図書館や古書店で「買った」を著者に告げるかどうかという議論において、図書館を利用する「しか」古書店で買う「しか」ない層、貧困に喘ぎながらなんとか本に手を伸ばしている層のことを考えてしまって、告げることに対する自分の考えを、というところまで辿り着かない。
本を作って売る仕事をしているので、そりゃ新刊で買ってもらえるのがありがたいけど、いまの時代、「本を新刊で買える」ということがずいぶん特別なことになりつつあるんじゃないかというのをcovid19が蔓延し始めてから肌で感じていて…。
給料上がらないのに、物価がどんどん上がっていって、それは本だけじゃないし、生物的な生存と、精神的な生存と両方を両立させることがすごく難しくなってる。
図書館や古書店が、定価で買うことのできない層に本を届けているのは事実で、それが人の命を救うということもたくさんあるのだし。

特に図書館の利用に関して、利用することを後ろめたく思うひとが増えないで欲しいと思っている。
今の能力主義の世界において、図書館の利用に経済的(つまり経済活動で優位に立てる能力がある)な格差が作用してきて、それでさらに貧困や苦しい立場の再生産になることがこわい。

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fedibird.com/@azusa_inoue/1109
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この話に対して「世代を再生産し継続する社会」という視点からの私見を述べるならば……

現世代だけを考えると、作者への対価が少なくなることは、確かに作者の生産環境を減じてしまう。

しかし、図書館を利用した「今は貧しい人達」が、安く学んだ知識・学識によって経済的に向上する事例が増えれば、いずれ社会に還元される富は増え、作家や作家の子孫にも、それは還元されるだろう。

つまり、著作物が図書館に収蔵され、「その時の収入が減る」ことは、将来の社会に対する納税のようなものだ、と考えることができる。

「作者」は、文字通り価値と富を作り出す能力を持っている。 その能力のうち、いくぶんかを、将来の社会へと渡す「適正な装置」として、図書館は在るのだろう。

なれば、図書館を利用することで、「後ろめたく思う」必要など無いのである。
税金で造られた道路を歩くとき、後ろめたさを感じる人がいないように。 [参照]

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