「ぼくは古書がないと生きていけない/そしてガードレールが好きだ」(坂本龍一)
「そしてガードレールが好きだ」という「私的(詩的)言語」。坂本さんの「何か」に、ただ、虚をつかれる。何故「そして」なのか? 「ガードレール」とは? そこに意味を読み込むことなど野暮なことだ。
実のところ「私的言語」は可能でなければならない。逆に(強調した言い方をするならば)「私的言語」が可能である限り、その限りでのみ〈私〉と同型の他者(他の〈私〉)の存在可能性が暗に前提され得る、とは言える。
ガードレール→ボードレールでは?と指摘している方がおり、それは全然ありますね(笑)
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