今日読み終わった。こっちも最初の方忘れた。
小説はシーンで分けてみろって書かれていて、短編は長編のうちのシーンを削ったものって考え方になるほどって思った。
三題噺で季節も主人公の年齢すら曖昧な話があるのはこれが原因かもしれない……。
掌編なのか短編なのかは分からないけど(多分掌編)長編も中編も書けないのはこれが原因か。
三題噺で文字数を数えてみよう。
TRPGをやっていた人に有名な小説家が多いっての、このシーンに分けるって考え方に馴染んでいるからかもなぁ。
題名の考え方なるほどなって思った。
作者の予定外の行動を取るって話、種村有菜先生が「満月を探して」で「自分が描きたいことを優先しちゃいました」ってしれっと書いていたのを思い出す。割とみんな登場人物が勝手に動くのを許容すると勝手に思い込んでいたんだけど。
許斐剛先生もなかなか負けてくれないって言うし、今野緒雪先生もわー、こんな予定じゃなかったのにー、って後書きで叫んでいたし、まこ先生も十一話で困惑しましたって書いていたし。一番すごいのは有川浩先生が紹介していた、川原礫先生呼ぶところの「ライブ派」だけども。
無神論者よりも「神はいないなんて論文を書いた覚えはないわ」(銀盤カレイドスコープ)の方が余程しっくり来る日本人。