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僕の考えた最強の文章術が中国語(中級程度)の学習にぜんぜん役立たないのだけど。。。

自己評価するなら、Google翻訳みたいに文脈を取りちがえることはないけど、DeepLほどには構文解釈の正確さがない、くらいの英文読解スキルかな

もはやTwitter/Facebook/Instagramには新成人も受験生も卒業生もさほどいないのではあるまいか

知能労働も肉体労働も人工知能/ロボティクスに代替されたら、ふつうのひとにできるのは感情労働くらいかと思いきや、いまのところ明らかに残りそうなのは「炊飯器の内釜を洗う」とか「冷蔵庫を開けっぱなしにしない」とか「お掃除ロボットのフィルター交換」とか「玄関の隅をちょっと掃く」とかなのよな

南場智子さん、いまや立場的には日本のスタートアップコンピューターおばあちゃんなのか

「どんな作品を書いているんですか?」と聴かれたときの模範解答を用意しておくか

「私がお湯を注いだカップ焼きそばを勝手に食べないでほしい」の法理

著作権法の本質が(財産性や私有性ではなく)創作性の保護ーーつまりは特別扱いーーにあるとしたら、昨今の国際潮流と著作(writings)概念は根深いところで対抗する。「人類の所産はなんであれ文化であり芸術たりうるんだ」とする今風の文化多様性の追求や、機械補助による情報生成、無人の観測-処理システムの存在とか。ざっくりいえば、これは才能と凡庸の対立っぽく見えなくもない。都市社会の生活道徳が「ありふれた人生にも価値があるから、丁寧な生活を心がけたいね」と説くとき、その価値は財産権のみによる整理になじまないのだけど、著作権法は知的財産の保護に用いられているから、非-経済的価値と経済価値が仕分けづらくなっちゃうというか。

「『うっかり早起きする夢』から目覚めたら本当に早起きだった」ときの不安ーーペナルティキックを受けるゴールキーパーの

「人権費」と誤変換しちゃって意味深

季節性の年中行事や学習段階による区分(入学、進級、卒業…etc.)が大多数から無視されることはあまりなさそうだけど、社会意識を規律する生活文化がどんどん遺産化していくのは避けがたかろうし、伝統的な風習の消滅に立ち会う(ないしは再生させる)ことを当事者としてすべき/すべきでないと思う機会は、日本のように高齢化と老朽化が進む国家では、いよいよごくありふれていくのかもしれない。

成人年齢引き下げで1月9日の記念性が薄れて、「成人」という考えが儀礼的なフィクションであることを、行政がみずから象徴できるようになったのはいいことだなぁ。「10歳」も「20歳」も「30歳」も、「元服」や「厄年」のように、なんとなく切りのいい数字が信仰されているだけの慣習になっていくのかな。よくあるWebサービスの利用制限は13〜15歳だし、表現規制は18〜21歳だし、線引きが細かくなるほど節目の縁起は意識されなくなっていく
www3.nhk.or.jp/news/html/20230

OK、Google。国税庁 法令解釈通達 タックスアンサー 質疑応答事例 事務運営指針 ちがい。

高等数学(集合論とか)をちゃんとやらないと思考できなさそうなゾーンまで来たのでこの話終わり

たとえば、水循環の表現(観測を含む)にひとは感動できるけど、水循環の全貌そのままは感覚できない。「人間に理解できない程度の複雑さ」にまで分かりやすくしないと、身体はそれをまともに感覚できないが、「(略)の複雑さ」をオーバーフローとして認知するのはさほど難しくなく、ありていにいえば、それは感動だと見なしてよい。

もっと正しくいうなら、人間が理解できない程度の複雑さにまで情報の質・量が縮減されないと、ひとはそれらを著作として観念できないのかもしれない

著作そのものも、言語の汲み尽くせなさに比べたら、せいぜい人間が理解できない程度の複雑さである気はする

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