著作権法の本質が(財産性や私有性ではなく)創作性の保護ーーつまりは特別扱いーーにあるとしたら、昨今の国際潮流と著作(writings)概念は根深いところで対抗する。「人類の所産はなんであれ文化であり芸術たりうるんだ」とする今風の文化多様性の追求や、機械補助による情報生成、無人の観測-処理システムの存在とか。ざっくりいえば、これは才能と凡庸の対立っぽく見えなくもない。都市社会の生活道徳が「ありふれた人生にも価値があるから、丁寧な生活を心がけたいね」と説くとき、その価値は財産権のみによる整理になじまないのだけど、著作権法は知的財産の保護に用いられているから、非-経済的価値と経済価値が仕分けづらくなっちゃうというか。
成人年齢引き下げで1月9日の記念性が薄れて、「成人」という考えが儀礼的なフィクションであることを、行政がみずから象徴できるようになったのはいいことだなぁ。「10歳」も「20歳」も「30歳」も、「元服」や「厄年」のように、なんとなく切りのいい数字が信仰されているだけの慣習になっていくのかな。よくあるWebサービスの利用制限は13〜15歳だし、表現規制は18〜21歳だし、線引きが細かくなるほど節目の縁起は意識されなくなっていく
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230109/k10013944551000.html
口あけぬひつじ死んでいる