いろは歌を「既存のフォーマット」と呼ぶ徹底に笑った。
https://youtu.be/8KIXqEj7bOs
今日はさほど日曜日ではないのかもしれない
https://fedibird.com/@kasaikouhei/109330745786544776 [参照]
長文
あくまで理念的には、だけど、対象者に「得しかない」線引きは差別と呼ばれない。かといってそのひとに「損しかない」線引きも、おそらく差別とは呼ばれない(不可視化され、抗弁どころか認知の機会さえ与えられないのではないか)。
両極端のうち、「いつもかなり損するし、ほぼ得しない」線引きは良識や世間体、慣例、法律が防いでくれるようになってきた(漏れはまだまだあり、より深刻なものが現れてもいる)。
あちこちで揉めごとがこれから起きる、もしくはすでに起きているのは「損得がはっきりしない」ように見える線引きで、現にだれがどれくらい損・得をしているのか、当事者からも外野からも見えづらい。
その線引きは「なんだかはっきりしない」ことが特徴で、それはだれもが「だれかがずるい、無視されている、忘れられている」とつい感じる線引きでもある。
このような線引きはすでに俗に「逆差別」とか「反平等」とか言われているけれど、その線が生み出す損得そのものより、どの対象者をどのように分割するのかわからないまま、なんとなく「線を増やすな/減らすな」という気持ちを万人が持ちうるところが厄介なのだろうと思った。
明日は日曜日ですか?
『コンテンツビジネスの会計実務』本当にこれだった。もっと早く読めばよかったなぁ
阿佐ヶ谷姉妹がM-1の3回戦でさらっとやってる「なんなのよ」(東京・おばさん漫才)というツッコミは、戦後にかけて支配的だった「なんでやねん」(大阪・おじさん漫才)の覇権をついに揺るがしそうな気がした
口あけぬひつじ死んでいる