筋書きや人物造形でやんちゃしたあと、話の終わりに作者が顔を出して後講釈する構成の中長篇が20世紀第1四半期にわりと見かけて「モダンな言い訳だなぁ(苦笑)」と遠くに見ていたけど、CautionもAfter careもしっかりやるデザインのストーリーテリングがゲームでもアニメでもテーマパークでも論説でも常識的になってくると、テキストのフィクションでも事故防止のために「感動の実話!」とかタグ付けせざるを得なくなって、その措置は顧客クレーム回避のための妥当な安全弁ではあるものの、全裸で崖から飛び降りて遊んでいたような世代には物足りなく感じる。そんな世代がかつてこの国にもあったなんて僕の錯覚でしかないかもしれないけれど…。