「がんばった人が報われる社会」 

「がんばった人が報われる社会」というのは
10がんばって5の成果を出す人と、
5がんばって10の成果を出す人がいたら、
前者の人のほうが多く報われるべき、という考え方なんだろうか。

たとえば私の全力疾走よりオリンピック選手の軽い走りのほうが絶対速い。
がんばりと成果は必ずしも比例しない。

本筋じゃないけど「がんばった人が報われる社会」の言説にはそんなことを思う。

「がんばった人が報われる社会」 

「がんばった人が報われる社会」を望む人は、
「成果を出せている人はがんばった人」
「成果を出せていない人はがんばっていない人」
という価値観を前提としているように思う。

「がんばった人が報われる社会」 

でも、私の(ささやかな)社会経験からすると、たとえば後輩に仕事を教えていても10教えて5くらい理解する人と、12くらい理解しちゃう人がいる。
でも前者の人ががんばっていないわけじゃなくて、その人なりにがんばっていたりする。

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「がんばった人が報われる社会」 

だから、そもそも「こういう人が報われるべき」「こういう人は報われなくていい」みたいな考え方自体がどうなんだろうと思う。

だから「どんな人も同じ待遇で良い」ってなると、共産主義ということになるのかなぁ…。

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