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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「東京芸大美術館の「大吉原展」見てきました。浮世絵などの絵画作品は質量ともに充実しているし、構成や解説も、吉原の一日や一年など様々な様子が分かるように工夫されていて、その限りでは良い展示だと思いましたが、遊廓を扱う展示としては、やはり疑問符が付きます。(続 twitter.com/kojimam1956/status」 / X
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「もしこれが「吉原を描いた絵画」がテーマでそれを実態に即して読み解く、という展示だったなら問題は無いのですが、吉原遊廓自体を扱う展示としては欠けた部分が多いし、「容認しない」とエクスキューズを付ければ文化としての側面を切り分けて評価できる、というコンセプトにも問題があると思います。」 / X
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「「大吉原展」というタイトル自体が、偉大な吉原を復権させるという意味に取れますし、当初付いていた「江戸アメイヂング」という副題や、ロゴがピンクだったこと、ホームページやSNSがエンタメ的なものだったこと、「お大尽ナイト」を企画実施したこと、展示室が文字通りの「紅灯の巷」風であること、」 / X
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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「こうした姿勢は、遊廓という今日存在が許されないものを扱う展示としては批判を浴びて当然ですし、遊廓を描く絵画作品は、言うまでもなく、遊女を見る側、買う側、ないし経営する側の視点のものですから、そこに「描かれていないもの」や遊女側の視点は、いくら見ても当然抜け落ちてしまいます。」 / X
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「国立歴史民俗博物館の「性差の日本史」展で紹介されていた、遊女の放火事件や、遊女身分から脱れようとした遊女「かしく」の話がパネルで紹介されていましたが、遊女を担保とした投資が広く行われていたことや、上納金が町奉行所や維新政府の財政を支えたといった社会的な構造には踏み込めていません。」 / X
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「「学術顧問」の田中優子氏のメッセージは会場にも貼り出されていましたが、「難しいことは顧問の先生に」という姿勢自体がどうかと思いますし、文化という「良い面」だけを切り離そうとする田中氏の論理に頼ろうとした点が失敗だったのでは。誰かと組むのなら、歴史家の協力を仰ぐべきだったでしょう。」 / X
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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「私が遊廓の展示にこだわるのは、「性差の日本史」展に関わったためでもありますが、廃業後の遊廓の建物を現地で見て説明を聞いた経験があって、それに照らし合わせて違和感がある展示は看過できないのです。「大吉原展」は、結局きれいな所しか見せていません。 twitter.com/kojima_sakura/stat」 / X
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「「性差の日本史」展で展示されていた、八日市新地「清定楼」で使われていた「洗浄器」(図録221頁、6-62)も、現地で使用されていた状態で見ています。展示では床に置かれていたので意味がよく伝わらなかったと思いますが、こういう風に使うものです。今更ですが、記憶で図を書いてみました。 t.co/ZM9eZFr8dv」 / X
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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「「大吉原展」に戻ると、目玉の一つに、高橋由一の描いた油絵「花魁」の修復後のお披露目がありますが、本当に描かれたばかりのような鮮やかなものになっていました。これは図録では今ひとつで、実物を見た甲斐がありました。(図録は3500円、300頁超の「鈍器本」です。)」 / X
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「「大吉原展」についてのこれまでの批評としては、開幕前のものですが、買う側というより「加害者」の側の問題であること、高い文化を強調することはそれ以外の遊女を蔑み分断することになる、といった渡辺豪氏の指摘が的を射ていると思いました。 t.co/85La2HGFoz t.co/duPxUSKjHa」 / X
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