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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「日本の社会が律令国家から変質していく過程について、韓国の宮廷ドラマと比較してみると分かる、というのは意外な発見でしたが、いつごろから変わっていったのか、平安時代のことは門外漢なのですが、関係しそうなことを考えてみると、まず遣唐使は894年で廃止ですから、(続 twitter.com/kojimam1956/status」 / X
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「承前)その頃までは中国の文化や制度を「国際標準」として受け入れていたし、まだ日本も基本的に律令国家だったのかと。摂関政治が本格化するのが10世紀後半、摂関家の地位が確立するのは藤原道長の父兼家(929-990)からの由。源氏物語(11世紀初)は、変化の方向がはっきりした時期でしょうか。」 / X
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「いわゆる「国風文化」や「和様化」が進むのもこの頃からですね。「かな」が成立するのは9世紀のようですし、文書の様式でも、公印を押さない「官宣旨(弁官下文)」が出てくるのは9世紀らしい。でも漢詩文はなお盛んだし、「源氏物語」で、紫の上の形見の木が紅梅、というのも印象的です。」 / X
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Xユーザーの小島道裕@平和・人権史観🍉さん: 「近知って驚いたのは、「さおとめ」という言葉が出てくるのは11世紀、ということで、田植えで女性が多くなるのが9世紀後半以降だそうですから、この頃進んだ「和様化」は、上流階級の文化だけではなく、社会的に深い所からの変化だったように思えますが、どうでしょうか。 twitter.com/kojimam1956/status」 / X
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…ひとつの見立てとしては興味深い話。ただ、上流階級の影響がむしろ衰えたことで、地方が独自性を強めて結果的に「和様化」が進んだと見た方が実情に合いそうな気もする。

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