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18世紀だとまだヨーロッパからではオランダ商館の使節が年に1回江戸に参府する折にしか京都に入ることは出来なかったから、当然京都の詳細な地図を自ら測量して描くなど出来ない時期。恐らくは京都で売られていた一般向けの地図を元に版を起こしたのだろうと思う。

>XユーザーのOguchi T/小口 高さん: 「18世紀中頃にフランスで出版された京都の地図の画像。 digitalcommonwealth.org/search 標題にある Meaco は都で京都を意味する。左側が北で、主に格子状の市街地と川を表現し、御所を記号A、二条城を記号Bで表示。郊外に「Daibods の寺」も示されているが、これは1798年に落雷で焼失した大仏があった方広寺。 twitter.com/ogugeo/status/1740」 / X
twitter.com/ogugeo/status/1740

因みにこの古地図はそれよりはかなり時代が下っているが、左が北になる構図などはフランスの地図にとても近い。この古地図の元になる地図がもっと前の時代に作られていたのではないかとも思える。

>[京都古地図]|所蔵地図データベース
lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map

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