最近つくづく思うのは、史料ってどれだけ集めても「何千ピースもの巨大ジグソーパズルのほんの数ピース」なんだよね。そのほんの数ピースで得られる知見はホントに限られていて、それでシナリオを書こうとすると、飛び飛びになっているピースの間を仮に線を引くしかないので、そこにどうしても「フィクション」が紛れ込んでしまう。
それでも、大枠を理解しようとすればそういうものを描いてみるしかないので、何処から何処までが見つかったピースなのかがわかる様にして書くのが良いんだけど、小説とかにする時にはそのつなぎ目がわからない様に書いてしまうので、知らない人が見るとどうしたってそこで誤認を生む結果になるんだよねぇ。 [参照]