見田宗介の言葉を借りれば、「近代的合理性」とは生活を生産に全面的に奉仕させる「生の手段化」の謂である。

この「生の手段化」を正当化する近代の理念とは「自由」と「平等」であり、じっさい「近代的合理性」が実現してきた経済成長はいくらかの人々の「自由」と「平等」の領域を拡充したことはまちがいないが、「合理化」のプロセスの内外において疎外され、「生の手段化」を強いられてきた者たちにとっては「自由」や「平等」を抑圧するものでしかない。

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地球という有限性を露わにするほどにまで開発が尽くされた現代、「合理的」に資源を収奪し、領土を拡張していくという「征服」はもはや肯定できるものではなく、「自由」と「平等」の領域を拡大させていくような「共生」の理路こそが求められている。というかそういう方向に現代は向かってる。

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