今日という日に、たまたま図書館で順番が回ってきたからという理由で『推し、燃ゆ』を読んだらこれは敗戦の小説ではないかと驚いた。

「推す」という現代的な偶像崇拝を、こうもあからさまに天皇制の似姿として描くこと。偶像はみずからふるった暴力によって燃え上がり、一時はそれすらもいっそうの高揚を引き起こす契機となるがついには敗け、ただの人になることを宣言するに至る。

炎上のきっかけとなった暴力は、ファンたちの結束を強めこそすれ、暴力に至る構造の不当さは追及されることも反省されることもないままになあなあにされる。あとにはただ「背骨」を失った実存の不安だけが解消されないままに残る。

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ここにきて、のちの高度成長によっていちど目を逸らすことができてしまった戦争というものの重みを改めて文学が引き受ける段になったような、そんな感覚を強くもった。

めちゃ売れてる本であるし、こんなこと、すでに百億回くらい言われてることなんだろうけれど。

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