言語や貨幣から、セルフレジやスマホアプリに至るまで、あらゆる道具には取り扱いのルールというか仕様があって、それらに準拠した使用をしないとうまく機能しない。
機能しなさにはグラデーションがあって、言語なんかは多くの人がめちゃくちゃな使い方をしてて、それでもなんとかなっちゃうことも少なくない。
デジタルツールはそういうめちゃくちゃな使い方はできなくて、「や、それは仕様にないので……」と突き返されるぶん、よりいっそう人間の側が設計の仕様に合わせていくことになる。
すくなくとも90年代以降の生まれの僕のような個人は、こちらの生理でなくて道具に合わせるように、自分を規格に寄せていくというのがふつうで「自然」なことになってる。
こういう時代の感性は、要件定義の枠の内外を明確化し、規格に合わないものを外へと排除していくことに疑問を持ちにくいのかもしれない。じっさいインターネット上のコミュニティは簡単に排他的な閉鎖性を確保できたりもする。だからこそ、ここでなされるやり取りはどうしても「出ていけ」「追放しろ」に帰着しがちだ。
実生活における政治は、本来「開かれている」というか、「閉じこもれない」ことが前提のはずなので、追い出す/追い出される外なんてどこにもないのだけど。