日本の街はほんとにゴミ箱がないな。串団子を食べ歩いて、食べ終わってもいつまでも串を片手に歩かなくてはならない。こういうとき、公共の衰退を実感する。公共とはゴミ箱と、ゴミ収集のことなのだ。ゴミ箱をどんどん減らして「自己責任」での持ち帰りを推奨する結果どうなるか。ゴミ箱がないから仕方なく自販機横のペットボトル用のゴミ箱に無理やりプラ容器を突っ込んだり、諦めて道端にポイ捨てする人が増える。そういう「正しくない」人たちだって、ゴミ箱があればゴミ箱に捨てたいだろう。自分たちでテロ対策だのなんだのと理屈をつけてゴミ箱を撤去しておきながら、街が汚くなっていく責任を個人のモラルにだけ押しつけるのは、端的にふざけるなと思う。気持ちのいい街が欲しいなら、ゴミ箱をふんだんに設置し、こまやかな収集のルーティンを設計しなければいけない。
インターネットの掲示板はゴミ箱のようなもので、わざわざ覗き込まなければゴミみたいな文字を読まずに済んだ。ゴミは物好きのものだった。巨大SNSは公道でありたかったのかもしれないけれど、ゴミ箱がないからゴミ箱みたいになってしまった。